製造・構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/27 04:24 UTC 版)
「国鉄C61形蒸気機関車」の記事における「製造・構造」の解説
三菱重工業および日本車輌製造の手により、計33両が製造された。本形式はD51形の改造名義ではあるが、流用したのはボイラーと一部の部品のみ。さらに、主に改造に回されたのは太平洋戦争末期に製造された品質が悪い車両であり、中にはボイラー流用は名目のみで新しいボイラーを製造した、完全な新造に近い車両もあった。走行部はC57形をベースに設計されているが車重は増加、C57の代替として製造された経緯から、同型式の入線線区に適応する水準に軸重を軽減するため、従輪を設計変更して2軸台車とした、2C2型の「ハドソン」と呼ばれる車軸配置となっている。 C61形と同時に改造が進められていたC62形はやはりハドソン型軸配置を採用しているが、こちらは途中で労働争議のために完成が遅れ、先にC61形が完成したため、日本初のハドソン機は本形式となった。 また、当時は日本国内で供給される石炭の質が非常に悪かったため、パワーを出し切るにはボイラーへの大量の石炭投入が必要であった。そこで、機関助士の労力を軽減するため、日本の機関車としては初めて自動給炭機(メカニカルストーカー)を採用した。 C62形と同様に、従台車の取り付けピン位置を変更することにより、動輪上軸重を軽減できる構造になっており、電化が進展した場合は、C58形などが運用されている丙線区へ転用可能な考慮がなされていたが、気動車の増備が進んだことなどもあり、実際に軸重軽減工事が施工されることはなかった。 改番照合表 形式改造後改造前製造所製造番号落成日廃車日C61形C61 01 D51 0615 三菱重工業 0640 1947年11月30日 1966年8月5日 C61 02 D51 1109 0641 1948年07月31日 C61 03 D51 1063 0642 1948年08月22日 C61 04 D51 1011 0643 1948年08月31日 C61 05 D51 1075 0644 1948年09月28日 C61 06 D51 1134 0645 1948年10月18日 C61 07 D51 1147 0646 1948年10月30日 C61 08 D51 1117 0647 1948年11月16日 C61 09 D51 0925 0648 1948年11月29日 C61 10 D51 1047 0649 1948年12月14日 C61 11 D51 1139 0650 1949年01月15日 C61 12 D51 1143 0651 1949年02月28日 C61 13 D51 1115 0652 1949年03月19日 C61 14 D51 1124 0653 1949年03月31日 C61 15 D51 1084 0654 1949年03月27日 C61 16 D51 1128 0655 1949年05月19日 C61 17 D51 1130 0656 1949年06月18日 C61 18 D51 0874 0657 1949年06月18日 C61 19 D51 1027 0658 1949年07月28日 C61 20 D51 1094 0659 1949年07月31日 1973年08月28日 C61 21 D51 1123 0660 1949年08月31日 C61 22 D51 1158 日本車輌製造 1500 1948年09月25日 C61 23 D51 1010 1501 1948年09月30日 C61 24 D51 1135 1502 1948年09月30日 C61 25 D51 0366 1503 1948年10月08日 C61 26 D51 0198 1504 1948年10月28日 C61 27 D51 1146 1505 1948年10月31日 C61 28 D51 0904 1506 1948年11月25日 C61 29 D51 0069 1507 1948年11月29日 C61 30 D51 1144 1508 1948年12月11日 C61 31 D51 0945 1509 1948年12月22日 C61 32 D51 1050 1510 1949年01月31日 C61 33 D51 1148 1511 1949年03月02日
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