裁判官・判事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 09:06 UTC 版)
ウィリアム・ウェッブ(オーストラリア連邦派遣) - 裁判長。連邦最高裁判所判事。 マイロン・C・クレマー少将(アメリカ合衆国派遣)- 陸軍省法務総監。ジョン・パトリック・ヒギンズから交代。 ウィリアム・パトリック(グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国派遣)- スコットランド刑事上級裁判所判事 イワン・M・ザリヤノフ少将(ソビエト社会主義共和国連邦派遣)- 最高裁判所判事。陸大法学部長- 法廷の公用語である英語を使用できなかった。 アンリー・ベルナール(フランス共和国派遣)- 軍事法廷主席検事 - 法廷公用語である英語を十分使用できなかった。後述のパール判事やレーリンク判事とは別の考え方で少数意見を述べる。 梅汝璈(中華民国派遣) - 立法院委員長代理。シカゴ大学・ロー・スクール法務博士取得者だが、法曹経験はなかった。 ベルト・レーリンク(オランダ王国派遣) - ユトレヒト司法裁判所判事。少数意見を述べるが、判決後間もない新聞インタビューで、少数意見を公開することは裁判の権威を損なうとして彼自身は反対していたが、一部の裁判官が公表したために公開に至ったと述べている。 エドワード・スチュワート・マクドゥガル(カナダ派遣)- ケベック州裁判所判事。 エリマ・ハーベー・ノースクロフト(ニュージーランド派遣)- 最高裁判所判事。 ラダ・ビノード・パール(インド派遣) - 税法専門の弁護士。後にカルカッタ高等裁判所において臨時の判事を代行。東京裁判では平和に対する罪と人道に対する罪とが事後法にあたる、あるいは国家行為として決定されて行われたことで個人を裁くべきでないとして全員無罪を主張。裁判以後に国際法を専門に活動。 デルフィン・ハラニーリャ(フィリピン派遣) - 司法長官。最高裁判所判事。日本の戦争責任追及の急先鋒で、被告全員の死刑を主張。日本軍の捕虜としてバターン死の行進を経験。弁護側は被害者側による客観性の欠如を理由に忌避を申し立てたが、却下された。
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