被災地概況
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「平成26年8月豪雨による広島市の土砂災害」の記事における「被災地概況」の解説
局所的豪雨の影響で、災害範囲は安佐南区と安佐北区の一部に集中した。 当地は太田川中流域と下流域の境目付近に位置し、その支流である根谷川・三篠川との合流地点付近でもある。太田川を挟んで南側が安佐南区八木・緑井地区、北側が安佐北区可部・三入・桐原・大林地区になる。3つの川の合流点であったことから、また広島城下から八木・緑井内の雲石街道(可部街道)を通って、そして可部で出雲・石見街道と分岐することから、古くから可部を中心として河川および陸上交通の要所として発達した。現在では国道54号・JR可部線(および芸備線)が市中心部から県北部への交通網として発達している。さらに、市内の主要浄水場のひとつである緑井浄水場や中国電力太田川水力発電所、広島県災害拠点病院のひとつである広島市立安佐市民病院と、生活に直結する施設があるところでもある。 当地は双方とも大部分が市街化区域に指定されている。1970年代から大規模な宅地開発が進み、市中心部へのアクセスのよさから人口は増えていった。安佐南区八木・緑井は2005年 - 2014年統計データによると、人口増加率は6.2%増、高齢化率は18.7%。新興住宅地として発達していた地区であり、阿武山・権現山の扇状地に住宅街が形成された。一方、安佐北区可部・三入・桐原・大林は2005年 - 2014年統計データによると、人口増加率4.0%減、高齢化率30.9%。南側と同様に宅地開発されてきた地区であるが自然や農地が多く残る地区である。 土砂災害はそこからさらに南にも発生している。中でも安佐南区山本は大正15年9月広島豪雨災害をはじめとして昭和初期まで災害が頻発しており、そこから対策が比較的進んだため近年大きな災害は発生していなかった。 山口大学教授(地盤工学)の鈴木素之は、土石流の発生した渓流8か所の下流での地層の観察と放射性炭素年代測定から、被災地では土石流が西暦1世紀から7回(2014年を含めれば8回)、150年から400年間隔で起きていたと分析している。 1999年6.29災害・2014年8.20災害の比較 -6.29災害.mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{} 8.20災害 主な被災地広島市佐伯区 安佐南区 安佐北区 呉市 広島市安佐南区 安佐北区 1日最多雨量(mm)271.0県戸坂 287.0県上原 時間最多雨量(mm)81.0公団八幡川橋 121.0県三入東 がけ崩れ(箇所)186 59 土石流(箇所)139 107 死者/行方不明者(人)32 74 これらの地区はすべて、1999年広島市で記録的な被害を出した土砂災害ではほぼ被害に遭わなかった。ただ1999年での主要な災害地は西側に隣接した地区であった。2014年災害後に市が行った安佐南区・安佐北区被災地住民アンケートでは、大雨・洪水に対して自分の居住地が危険・やや危険と認識していた人は48.2%(732人中)、がけ崩れ・土石流に対しては48.1%(717人中)と、半分以下の認識であった。がけ崩れ・土石流に対しての危険認識は地元紙『中国新聞』による調査ではさらに低く32%(50人中)だった。ただし、住民の危機意識問題は情報提供不足という#行政側の不備も関係する。
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