苦戦と引退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 17:59 UTC 版)
1997年にニューウェイが去ってから、ウィリアムズは迷走し、2000年にBMWエンジンを手にして、2003年にはタイトル争いにおいて接戦に持ち込んだが、それを最後に力を使い果たしたように成績は下降線をたどることとなった。そして2004年、ヘッドがテクニカル・ディレクターを辞職し、33歳のサム・マイケルが後任となることが発表された。 ヘッドのエンジニアリング・ディレクターへの異動は事実上の降格であり、また彼がもはやかつての栄光をチームにもたらすだけの力を持たないことをフランク・ウィリアムズがついに認めたという意味であると広く受け止められた。ただ、この時ヘッドは58歳であり、日本的に言えば還暦に近かったため、降格というよりは年齢によるセミリタイアという意味合いが強かった。実際、チームが危機に陥った2006年には本格的に復帰している。 2006年ごろの潮流であった自動車メーカーの多くがF1チームの株式を取得する流れの中で、ヘッドが自分の所有分をBMWに売却したのではないかという観測が存在したがこれは誤りである。この背景は2004年ごろからBMWはウィリアムズを買収してワークス参戦するべく、チームとの交渉が行われており、その過程で生まれた噂話である。ただ、それに反対派の一人であったヘッドがその最中に辞職したことがある種の信ぴょう性を与えた形となった。ただし、2011年にウィリアムズがフランクフルト証券取引所に上場した際、ヘッドも自らの所有する株式の一部を市場に放出しており、2015年現在の持株比率は10%まで低下している。 2011年末をもってチームの取締役ならびにエンジニアリング・ディレクターの職から退いたことが発表された。今後は関連会社のウィリアムズ・ハイブリッド・パワー・リミテッド社の役員に就任し、F1現場からは完全に離れた。 2015年、英王室より「Knight Bachelor」(騎士学士)の称号を叙任。 勇退後はFIA安全委員会に所属し委員長を務めていたが、2019年3月の開幕直後からは、深刻な低迷に陥っているウィリアムズF1の人員再編成に関するコンサルタント業務にも従事することになり、8年ぶりにF1へ復帰した。 2022年、FIAの会長がモハメド・ビン・スライエムに交代したことに伴う組織見直しの一環として、安全委員会の委員長をサム・マイケルに引き継ぎ退任した。
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