自殺企図を題材とした作品を通して
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:07 UTC 版)
「太宰治と自殺」の記事における「自殺企図を題材とした作品を通して」の解説
1930年11月28日の心中事件に関して、太宰は自らが生き延び、心中相手の田部あつみが亡くなったことについて、「私の生涯の黒点である」と書いている。そして1934年作の「葉」に始まり、晩年の「人間失格」に至るまで、繰り返しこの心中事件をテーマとした小説を書き続けていく。。小説の内容を実際の心中事件とを安易に結びつけるのは危険であるが、自分だけが生き残ったことは太宰の心に深い傷を残し、生涯、田部あつみへに対する深い思いを持ち続け、それが贖罪の意味も込めて繰り返しこの心中事件を小説のテーマとしていくことに繋がったとの説もある。この点に関しては、後年太宰は長女に「道化の華」の主人公、園にちなんだものと考えられる園子という命名をするが、この命名には田部あつみに対する贖罪意識と再生を願う気持ちが投影されているとの見方がある。 一方、贖罪意識や田部あつみとともに自らも死を願ったことは事実であるとしても、現実問題としてこの心中を小説の題材として利用し続けたことを指摘する意見もある。また1930年11月28日の心中事件小説の内容から、それぞれの苦悩を持つ男女が、あるきっかけで一緒になって死を選んだのが心中の実情で、女性を愛したが故の心中ではなく、いわば行きずりの女性を死の踏み台としたものであり、死にたいとの思いの反面、助けられたいとの相反する願望が垣間見えるとの指摘がある。 1935年3月16日の自殺未遂に関しては、この自殺未遂を題材とした「狂言の神」は、「生きるための死」、「死のための生」といった、相反したものの混在を指摘し、1935年当時の青年期の病理を照らし出しているとの意見がある。また「狂言の神」は、1935年頃の希望を持とうにも持てない青年たちのための文学であるとともに、「私、太宰」の自殺未遂の物語でもあり、太宰の「死にたい死にたい」とは、心底に込められた「生きたい生きたい」の逆説的な表現であり、生きる希望を失った人たちが生きるために読む物語であるとの指摘もある。 1937年3月25日の心中未遂については、題材として執筆された「姥捨」から、まず実際の心中と同様に、主人公である太宰をモデルとした嘉七が離婚の口実として心中を利用しようとしていることについての後ろめたさが描かれているとの指摘がある。また「姥捨」に描かれている小山初代との心中未遂と離別を経て、太宰は行き詰まりを見せていた文芸活動、実生活をリセットして再出発を果しており、「姥捨」は戦後期に至る太宰の作品の出発点に当たるとする見方もある。 しかし「姥捨」は心中未遂と離別、そこからの再出発を描いた太宰の「死と再生」を描いた再起の物語であることを認めつつも、他者との関係性を保つことが出来ないという根源的な問題点を解決することなく行われた「再起」は、きわめて脆弱なものであったとの指摘がなされている。
※この「自殺企図を題材とした作品を通して」の解説は、「太宰治と自殺」の解説の一部です。
「自殺企図を題材とした作品を通して」を含む「太宰治と自殺」の記事については、「太宰治と自殺」の概要を参照ください。
- 自殺企図を題材とした作品を通してのページへのリンク