自動車メーカーの代理戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 02:10 UTC 版)
「F1世界選手権の歴史」の記事における「自動車メーカーの代理戦争」の解説
自動車業界の再編が進むなか、これまでエンジン供給者の立場にいた自動車メーカーが既存のコンストラクターを買収して参戦し、企業ブランドを賭けて激突する時代に突入した。マシン開発では空力の絶え間ない進化が最重要課題となり、各チームは多額の費用をかけて大型の風洞施設やスーパーコンピュータを導入した。また、ブリヂストンとミシュランのタイヤ戦争も加熱し、レース結果を大きく左右する要素となった。一方で環境問題への配慮から、2009年には運動エネルギー回生システム (KERS) の導入が開始された。 また、世界的なタバコ広告禁止運動により長くF1界の主力スポンサーであったタバコメーカーが撤退し、新たに情報通信・金融企業などが参入した。伝統あるオールドサーキットに代わり、バーレーン・アブダビ・韓国など経済発展著しいアジア地域でのF1開催数が増え、贅沢な施設をもつサーキットが建設されている。 FIAのマックス・モズレー会長はトップチームで年間500億円超にまで上昇した参戦経費を抑えこむべく、自動車メーカーの反対を押し切りコスト削減策を断行した。2006年にはエンジンを「自然吸気式2,400cc V型8気筒」へ縮小、2007年にはタイヤもブリヂストンのワンメイクとなったほか、2008年にはECUもマクラーレンの関連会社製のワンメイクとなった。 これに対しメーカー連合はグランプリ・ワールド・チャンピオンシップ(GPWC)→GPMA→FOTAを結成。FIAと商業管理者のFOA・FOMに対し、運営の透明化と適正な利益配分を求める交渉を続けた。2009年にはバジェットキャップ制度の導入を巡りFOTAが新シリーズ独立を宣言し、FISA・FOCA戦争以来のF1分裂騒動となった。 2008年末に世界経済を襲った世界金融危機は、F1参戦自動車メーカーとスポンサーを直撃した。2009年にかけてホンダ、BMWザウバー、トヨタが相次いで撤退した。 表 話 編 歴 « 前 ― F1世界選手権レース (2000-2009) ― 後 » 2000 AUS BRA SMR GBR ESP EUR MON CAN FRA AUT GER HUN BEL ITA USA JPN MAL 2001 AUS MAL BRA SMR ESP AUT MON CAN EUR FRA GBR GER HUN BEL ITA USA JPN 2002 AUS MAL BRA SMR ESP AUT MON CAN EUR GBR FRA GER HUN BEL ITA USA JPN 2003 AUS MAL BRA SMR ESP AUT MON CAN EUR FRA GBR GER HUN ITA USA JPN 2004 AUS MAL BHR SMR ESP MON EUR CAN USA FRA GBR GER HUN BEL ITA CHN JPN BRA 2005 AUS MAL BHR SMR ESP MON EUR CAN USA FRA GBR GER HUN TUR ITA BEL BRA JPN CHN 2006 BHR MAL AUS SMR EUR ESP MON GBR CAN USA FRA GER HUN TUR ITA CHN JPN BRA 2007 AUS MAL BHR ESP MON CAN USA FRA GBR EUR HUN TUR ITA BEL JPN CHN BRA 2008 AUS MAL BHR ESP TUR MON CAN FRA GBR GER HUN EUR BEL ITA SIN JPN CHN BRA 2009 AUS MAL CHN BHR ESP MON TUR GBR GER HUN EUR BEL ITA SIN JPN BRA ABU
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