背景と要求
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/22 18:57 UTC 版)
第一次大戦後の1920年8月、オスマン帝国は連合国との間にセーヴル条約を締結した。この条約ではトルコ領内でのクルド人の自治権とアルメニアの独立が謳われていた。しかしこの当時すでにオスマン帝国は内戦状態にあり、オスマン帝国のイスタンブール政府に対立する形で1920年の4月に発足したムスタファ・ケマルのアンカラ政府(現代のトルコ共和国)はセーヴル条約を認めず、1923年にヨーロッパ諸国とローザンヌ条約を締結し、オスマン帝国に代わる主権国家としてのアンカラ政府を認めさせた。これによりセーヴル条約による旧オスマン領内のクルド人地域はトルコに内包された。 1923年にトルコ共和国の初代大統領に就任したムスタファ・ケマルは国の不可分の統一性を保つためには、トルコ国民であるという一元的な政治的アイデンティティの共有が不可欠であると考えており、それぞれの民族の持つ文化的なバックグラウンドを個人の内面のアイデンティティの領域へと押しやった。例えばアタテュルクによる改革ではイスラム教を政治から分離し、トルコ語の表記にはラテン文字の使用が義務付けられた。アタテュルクの死後の1960年代に始まった農村から都市への大規模な移住による生活環境の変化は、トルコ人に同化したクルド人とクルド・アイデンティティを保持したクルド人との乖離を助長した。 トルコ政府に対するクルド人の要求は組織や時期により様々で分離独立、自治権の獲得、またはトルコ国内での政治的、文化的な権利の拡大 などがあがる。
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