背景と建設工事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 05:16 UTC 版)
「ブライトン・アンド・ロッティンディーン海岸電気鉄道」の記事における「背景と建設工事」の解説
ヴォルクの電気鉄道で既に成功を収めていたマグヌス・ヴォルクは、東端のパストン・プレイスからの延伸計画を考えていた。しかし地形的に従来の鉄道を敷設するのは困難に思われたため、ヴォルクはパストン・プレイスからロッティンディーンまで、浅い海の上を鉄道で結ぶことを考えた。これはその後彼の息子ジョージ・ハーバート・ヴォルクが利用した飛行艇の拠点としても活用された。 鉄道自体はヴォルクの電気鉄道と同じ2 ft 8 1⁄2 in (825 mm)の複線で敷設され、一番外側の軌間は18 ft (5,486 mm)と定められた。また線路は海の上に設置されたコンクリートの路盤の上に敷設された。 車両は45ft × 22ft (13.7m × 6.7m)の寸法で、長さ23ft (7.0m)の長い脚に支えられていた。車両の重さは45ロングトン (50t)で、動力は垂直に配置された2機のゼネラル・エレクトリック社製電気モーター(25馬力)が担い、4つの台車のうち2つにウォームギヤを通じて繋がれていた。また残りの2つの台車にはロッドブレーキがつけられていた。また、運転台はアッパープロムナードデッキ(客席の天窓を囲む柵の部分)に設けられていた。 電気は当初鉛蓄電池から供給しようと考えられていたが、実際には線路脇に架けられた2本の電線から供給された。なお、構想段階では供給用の電線のみを架け、レールもしくは海(満潮時)に電流を流すという方式も検討されていた。発電所はロッティンディーン桟橋の下に設置され、ウィリアム・シッソン社製蒸気機関(100馬力)により500ボルトで50kWのダイナモを駆動するようになっていた。 この車両は公式にはパイオニア号と呼ばれていたが、ダディ・ロングレッグという通称で呼ばれていた。また現地の法律により資格を有した「船長」が常駐し、救命艇やその他の対策が施されていた。 建設工事は1894年から96年までの2年を要した。同年11月28日に開業したが、開業直後の12月4日に襲来した嵐により大きな被害を受けた。ヴォルクはすぐさま修復工事を開始し、横倒しになったパイオニア号も陸揚げして修理が行われた。またこの修理の際には脚部が2フィート延長されている。パイオニア号と鉄道の修理が完了すると、1897年7月20日から運行が再開した。そしてその年の終わりまでに合計44,282人の乗客がこの鉄道を利用した。
※この「背景と建設工事」の解説は、「ブライトン・アンド・ロッティンディーン海岸電気鉄道」の解説の一部です。
「背景と建設工事」を含む「ブライトン・アンド・ロッティンディーン海岸電気鉄道」の記事については、「ブライトン・アンド・ロッティンディーン海岸電気鉄道」の概要を参照ください。
- 背景と建設工事のページへのリンク