聖餐の秘跡の祭壇画とは? わかりやすく解説

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最後の晩餐 (ボウツ)

(聖餐の秘跡の祭壇画 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 04:07 UTC 版)

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『最後の晩餐』
作者ディルク・ボウツ
製作年1464年 - 1467年
種類油彩
寸法180 cm × 290 cm (71 in × 110 in)
所蔵聖ペテロ教会、ルーヴェン
祭壇画中央のパネル。
祭壇画の全体像。小さいパネルの位置が、上の画像と異なっている点に注意。

最後の晩餐』(さいごのばんさん、オランダ語: Het laatste avondmaal)は、ディルク・ボウツによる、高さ180cm、幅290smの トリプティク(3連の祭壇画)で、ボウツの代表作のひとつ考えられている作品。

中央の最後の晩餐の場面を描いたパネルを『最後の晩餐』とよび、祭壇画全体は『聖餐の秘跡の祭壇画』(Altaarstuk van het Heilig Sacrament) と称することもある[1]

歴史

板に油彩で描かれたこの絵は、1464年から1467年にかけてのいずれかの時期に制作され、ルーヴェン聖ペテロ教会オランダ語版に設置されている。制作を依頼したのは、聖餐兄弟会 (Broederschap van het Heilig Sacrament) であった。依頼主との合意により、この作品に対する報酬は煉瓦積み工英語版マイスター(親方)の千日分にあたる200ライニッシャー・グルデンドイツ語版ラインラントの通貨単位)となった。この高額の報酬のために、ボウツは、並行して他の絵を描かないこと、画材の代金は自分で負担することなどに同意しなければならなかった。1475年にボウツが死去した後、ふたりの息子たち、アエルブレヒト・ボウツオランダ語版ディルク・ボウツ (子)オランダ語版が、父の制作した聖ペテロ教会の祭壇画の両翼の外側に絵を描くことを委嘱された。

絵のモチーフ

透視投影によって構成された中央のパネルの画面には、最後の晩餐イエス使徒たちの姿が描かれている。場面はイエスが、キリスト教会の伝統では聖餐のはじまりとされる、「わたしを記念するため、このように行いなさい」という言葉を語るところである。食卓の傍らに立っている2人の男性は、聖餐兄弟会の幹部と考えられている。後ろの壁の窓の先に見える2人の人物については、誰であるか知られていない。

長めに引き延ばされ、鑑賞者を正面から見据えるイエスの顔は、ヴェロニカの聖顔布(ヴェロニカのヴェール英語版)を思い起こさせる。イエスは、世の救い主ドイツ語版としての祝福のジェスチャーをしている。

祭壇画の両翼には、4枚の小さいパネルが配され、いずれも聖餐との関わりがある旧約聖書の場面が描かれている。これら小さいパネルは、位置を入れ替えることができる。

小さいパネルのひとつ。アブラハムパンワインを差し出すメルキゼデク

(以下、上下、左右の配置への言及は、このページ冒頭の画像におけるもの)左側の翼の上方にはメルキゼデクアブラハムパンワインを差し出す様子が、その下には、マナを拾い集めるユダヤ人たち、右翼の上方には、悪魔バアルの司祭たちを殺した後に、砂漠に赴いたエリヤが描かれている。神は天使を遣わして、エリヤにパンを与えた。その下には、過越の晩餐として、調理された羊を、人びとが立ったまま慌ただしく食べている様子が描かれている。

脚注

  1. ^ Altaarstuk van het Heilig Sacrament”. Lukas - Art in Flanders. 2015年7月18日閲覧。

参考文献

  • Catheline Périer-D'Ieteren: Dieric Bouts: The complete works. Mercatorfonds, Brüssel 2006, ISBN 90-6153-638-3.
  • Dirk de Vos: Flämische Meister: Jan van Eyck, Rogier van der Weyden, Hans Memling. DuMont, Köln 2002, ISBN 3-8321-7201-7, S. 117–126.

聖餐の秘跡の祭壇画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/09/20 01:14 UTC 版)

ディルク・ボウツ」の記事における「聖餐の秘跡の祭壇画」の解説

最後の晩餐 (Last Supper)』は『聖餐の秘跡の祭壇画』の中央パネルで、1464年にルーヴェン・サクラメント協会 (Leuven Confraternity of the Holy Sacrament) の依頼描かれた。遠近法用いて室内表現され画面描かれ中央の部屋の壁などの垂直面交点イエス頭上マントルピース中央へと収束し、そこに消失点置かれている。『最後の晩餐』は、北ヨーロッパペトルス・クリストゥス1457年フランクフルト描いた玉座聖母聖ヒエロニムス聖フランチェスコ (Virgin and Child Enthroned with St. Jerome and St. Francis)』に次ぎ二枚目の、ルネサンス初期イタリア人芸術家完成させた透視図法用いて描かれ絵画である。 学者たちはこの絵画フランドルパネル画最初に最後の晩餐」を題材とした作品であることも指摘している。ボウツは『最後の晩餐』を聖書の物語風に描いておらず、イエスホスチア聖別するミサ神父あるかのように描いている。この点が、ユダの裏切りヨハネ慰撫するイエスなどを主題として他の画家たち物語風に描いた「最後の審判」との大きな相違点となっている。さらに他の「最後の審判」にはあまり見られない、窓から顔をのぞかせている2人立っている2人計4人の召使を、フランドル風の服装を身につけた状態で描いている。これらの召使はボウツ自身彼の二人の息子ではないかとされたこともあったが、現在ではこの祭壇画をボウツに依頼した協会人々描いた肖像画であると考えられている。 もともとこの『最後の晩餐』はルーヴェン聖ペトロ参事会教会 (St. Peter's Church, Leuven) にあった祭壇画聖餐秘跡』の一部分で、これは『最後の晩餐』を中心として両側2枚ずつの翼を持つ祭壇画だった。しかし19世紀ベルリンミュンヘン両翼散逸してしまい、現在では完全な復元難しい。左翼過越祭とその上部にアブラハムメルキゼデクが、右翼マナの収集とその上部に預言者エリヤ天使描かれていたパネル構成されていたと考えられている。これらは全て聖書予型論的解釈によれば中央パネル描かれ「最後の審判」予兆となる事象となっている。 ルーヴェン都市公認画家になったボウツは1468年ルーヴェン市庁舎 (en:Leuven Town Hall) のための2枚作品制作依頼された。1枚目が1468年から1470年描かれ祭壇画最後の審判 (Last Judgment)』である。この祭壇画2枚の翼しか現存しておらず、「楽園への道 (Road to Paradise)」、「呪われた者の墜落 (Fall of the Damned) が現在フランスリール美術館に、イエス半身描かれ中央パネル断片ストックホルムスウェーデン国立美術館それぞれ所蔵されている。この後ボウツは大きな祭壇画皇帝オットー裁判』の依頼を受け、1470年から1475年死去するまでこの祭壇画作成没頭した。ボウツは1枚目のパネル完成させ、2枚目のパネルにも取り掛かった。どちらのパネルにも神聖ローマ帝国皇帝オットー3世描かれている。現在ブリュッセルベルギー王立美術館所蔵されているが、残り2枚パネル未完成のままである

※この「聖餐の秘跡の祭壇画」の解説は、「ディルク・ボウツ」の解説の一部です。
「聖餐の秘跡の祭壇画」を含む「ディルク・ボウツ」の記事については、「ディルク・ボウツ」の概要を参照ください。

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