経歴・事蹟とは? わかりやすく解説

経歴・事蹟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 07:09 UTC 版)

村松春水」の記事における「経歴・事蹟」の解説

江戸時代末期文久3年村松家の次男として現・焼津市生まれた明治28年1895年)、伊豆下田町転居して以来町医傍ら当地における対外交渉の歴史掘り起こしたとりわけ開港まもない下田着任した初代駐日アメリカ合衆国領事タウンゼント・ハリスにかしずいたとされる唐人お吉」こと「きち」(=斎藤きち、以下お吉表記)の研究者として知られる大正末期より下田町郷土雑誌黒船』(1924-1944)に研究成果寄稿したほか、『下田に於ける吉田松陰』、『実話唐人お吉』を著した村松春水お吉研究は、これを提供した十一谷義三郎小説唐人お吉』が人気呼びたいへんなお吉ブームもたらした続けて芝居映画にともてはやされお吉実像対す人々関心呼び起こしたが、いま世に伝えられるお吉伝記」の原型村松春水によって作られといえる。 ただ、お吉について流布される伝聞は様々で、その実説はあやふやである。お吉亡くなったとされる明治23年から小説発表まで40年近く経過しており、この間失われた事実少なくなかった思われる。その研究も、細かな事実断片伝聞聞き書き組み合わせた記録であって資料欠落遺漏が多いことから、事実超越して奔放に潤色加えられているとの指摘がある。 村松春水作ったお吉生涯年表について、作家村松友視は、「思い入れたっぷり」、「年表自体春水作品、あるいは唐人お吉みたいなもの」ではないか述べ加えて従来伝えられているお吉伝説事実があるとすればお吉という女がいてハリスのもとに通い最期入水して死んだ、というこの二つくらいではないか、と問う。一方で通説はけっこう魅力的な話」と評しており、当時アメリカ日本男女見立て圧迫され側から視点お吉象徴させて書いたようにも思われ物語シンパシー持ったとも語っている。

※この「経歴・事蹟」の解説は、「村松春水」の解説の一部です。
「経歴・事蹟」を含む「村松春水」の記事については、「村松春水」の概要を参照ください。

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