紙本白描不動明王図像とは? わかりやすく解説

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紙本白描不動明王図像

主名称: 紙本白描不動明王図像
指定番号 2006
枝番 0
指定年月日 2004.06.08(平成16.06.08)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 絵画
ト書 寛元三年兼胤書写奥書がある
員数 1巻
時代区分 鎌倉
年代 寛元三年(1245)
検索年代
解説文:  不動明王一八図、八大童子一一図、廁〓、倶哩迦羅龍王各一図の計三一図の白描図像描き、各図に詳細な注記を記す図像集である。巻頭本紙失われているが、図像配列通例不動明王像から特異な図像へ進む傾向があるなかで、巻頭の一図は最も通例不動明王像であることから、これより前に大きな欠失はないことが推測される
 絵画的にも各図は形象把握輪郭線、岩皴の筆法や、細部までも丁寧に描く描写などいずれにおいても本格的な優れたのである
 巻末奥書に、本図巻は寛元三年一二四五)五月、二六歳の僧兼胤が鎌倉において功徳院僧正の本を書写したものであることが記されるこれまでの研究により、兼胤は正応四年(一二九一)、七二歳で「入唐求法巡礼行記」(国宝岐阜安藤積産合資会社所有)を写した天台僧で、本図巻を書写した寛元三年ころには、師の慈胤に従って鎌倉下向していたこと、原本所持していた「功徳院僧正」は『吾妻鑑』などに見え天台僧快雅で、慈胤の師にあたり寛元三年には鎌倉にいたことなどが明らかにされている。鎌倉将軍家が多く台密の僧を鎌倉招きそのなかで台密代表する事相書である『阿裟縛抄』も鎌倉編纂されており、本図巻が書写されたのも時流軌を一にする考えられる
 不動明王第十四図には「右於高野図之」、第十五~十八図にも「右四躰、同於高野御山得之」とあるなど、台密の僧が積極的に東密図像をも収集していたことがうかがわれる点も注目される。快雅は文治六年(一一九〇)三月、二五歳で曼殊院聖教中の『胎記』を書写しているのをはじめ、一三世紀初頭にかけて東密系の書を含め多く書写行っていることから、本図巻の原本となった快雅の書も、このころ入手されたと推測されることも指摘されている。注記に「以古伝図之」などの文言があることも考慮すると、その内容平安時代もかなり遡る古い図像少なからず含んでいると考えられよう。
 本図巻に収められる図像内容多岐にわたる豊富なものであり、複数多頭多臂像など他に例を見ない特異な図像多く含まれるわが国仏教諸尊なかでも重要視されたため、美術史上もきわめて多く作例をもつ不動明王像考えるうえで貴重な遺品であるばかりでなく、絵画的にも優れ仏教文化史上にも重要な資料である。
 巻末奥書次のとおり。
已上能々校之了 本文不見事多不審之所
 以本軌可校合
 寛元三年五月十一日 於相州鎌倉名越禅房功徳院僧正御本書写
 遍照金剛兼胤〈廿六/十四〉記之」



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