系外銀河の識別
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 08:51 UTC 版)
10世紀、イスラムの天文学者アブド・アル・ラフマン・アル・スーフィーはアンドロメダ銀河について最古の記録のひとつを残し、これを「小さな雲」と記した。彼はまた、イエメンで観察した大マゼラン雲の識別も行った。これはヨーロッパからは見えず、16世紀にフェルディナンド・マゼランが航海中に観測するまで知られていなかった。 1750年に天の川が円盤状の星の集まりという説を述べたトーマス・ライトは、また夜空に見られる星雲の中には同じような形状を持つものがある可能性を示唆した。イマヌエル・カントは1755年の論文でアンドロメダが孤立した天体だと述べたが、太陽系になる前のガス円盤という考察に止まった。 18世紀末にはシャルル・メシエが『メシエカタログ』を完成させた。この中には109個の明るい星雲状天体が含まれ、後にウィリアム・ハーシェルによって5000個の星雲リストまで拡張された。1845年、ウィリアム・パーソンズが製作した新しい望遠鏡によって、楕円状と渦巻状の星雲を見分ける事が可能になった。さらに彼はいくつかの星雲について個々の光源を見分け、イマヌエル・カントがかつて主張した説の裏づけを行った。 1912年にはヴェスト・スライファーが明るい星雲について分光法を用いた解析を行い、その成分が太陽系に存在する化学物質か否かを調べた。ところが、これらは大きく赤方偏移していることが判明し、銀河系の宇宙速度よりも速く遠ざかっている事が判明した。したがって、これらの星雲は銀河系の重力場に捉えられておらず、その一部とは言いがたい事が示された。 1917年、ヒーバー・ダウスト・カーチスがアンドロメダ大星雲(メシエ天体M31)の中に新星(アンドロメダ座S星)を発見した。さらに写真記録を辿り、新たに11個の新星が見つかった。彼は、これら新星が銀河系内で発生するものよりも平均10等級光が弱い事に着目し、その距離が約15万パーセク離れているとはじき出した。彼は、渦巻状の星雲は独立した銀河であると考える、いわゆる島宇宙仮説 (island universes hypothesis) の提唱者となった 1920年、ハーロー・シャプレーとヒーバー・ダウスト・カーチスの間で、天の川や渦巻状の星雲および宇宙の次元についての議論、いわゆる大論争(シャプレー・カーチス論争)が行われた。 この問題は1920年代初頭に決着を見た。1922年、天文学者のエルンスト・エピックはアンドロメダ星雲までの距離を理論的に求め、銀河系外の天体であると主張した。エドウィン・ハッブルは、ウィルソン山天文台に据えられた新造の100インチ望遠鏡を用いて渦巻状の星雲中の星々やケフェイド変光星を観察し、その距離を求めた。その結果、これらが銀河系の領域をはるかに超える遠い場所にある事を突き止めた。1926年ハッブルは銀河の分類を発表した。
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