精錬転換濃縮施設の役務運転終了とは? わかりやすく解説

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精錬転換・濃縮施設の役務運転終了

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 08:59 UTC 版)

人形峠」の記事における「精錬転換・濃縮施設の役務運転終了」の解説

1973年オイルショック期には、ウラン取引価格高騰ピーク迎えた。ところが、1979年アメリカで起きたスリーマイル島原子力発電所事故契機に、ウラン国際的な取引価格下落しピーク時半分にまで値を下げた。この結果経済的には、国内ウラン精製するよりも、海外から輸入するほうが安価安定していることから、人形峠でのウラン鉱採掘中止されることになった政治的な観点からは、稀少ウラン鉱有事の際の資源として温存するという目的もある。 1998年平成10年10月動力炉・核燃料開発事業団核燃料サイクル開発機構改組されると、当施設人形峠環境技術センター改組された。その翌年1999年平成11年7月には精錬転換施設2001年平成13年3月にはウラン濃縮原型プラント役務運転が終了閉山までに採掘され鉱石は約86000トンで、濃縮され取り出されウラン84トンであった取り出されウラン核燃料製造研究用いられ製造され核燃料実験プラント用いられ原子力技術開発支えた2005年平成17年10月日本原子力研究開発機構発足したことにより人形峠環境技術センターとなった人形峠など各地ウラン探鉱活動生じた微量放射性帯びた残土は約45立方メートル、約100万トン達すとされるが、鳥取県内に長らく堆積されたままになっていることが1988年昭和63年)に報道された。そのうち旧東郷町 (鳥取県)(現湯梨浜町方面(かたも)地区残された約3000立方メートルについて地元自治体動燃撤去協定結んだが、人形峠のある岡山県承諾得られず、搬送できないままとなっていた。訴訟により、2004年平成16年10月撤去命令出され命令実行できない間中制裁金科されることになった2005年残土一部アメリカ移送して処理を行ったほか、2006年人形峠鳥取県側に残土処理施設新たに建設してレンガ加工処理を行うことになった2008年処理施設完成し搬出された残土4月から日本原子力研究開発機構によってレンガ加工され2010年12月13日までに約145個が製造された。一般向けには「人形峠レンガ」として販売している。このレンガにはごく微量ウラン含まれているが、レンガ放射線量平均0.22μSv/hで花崗岩と同じ程度のため安全としており、文部科学省新庁舎のほか、現在までに各地花壇歩道整備などに使われている。また、妖精の森ガラス美術館ではウラン化合物利用してウランガラスの製作を行っている。

※この「精錬転換・濃縮施設の役務運転終了」の解説は、「人形峠」の解説の一部です。
「精錬転換・濃縮施設の役務運転終了」を含む「人形峠」の記事については、「人形峠」の概要を参照ください。

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