粛清理由の推測
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 14:18 UTC 版)
急成長を遂げた中国経済の減速が予測されるなか、景気低迷から政治腐敗による汚職が問題化すれば政府の経済政策を脅かしかねない状況だった。エネルギー政策に発言力を持つ周永康は引き立てていた薄熙来の失脚以降その影響力を弱めていた。1998年国務院の再度勧告から機構改革が行われた中国石油天然気集団(またはCNPC)では、形だけの分業と組織改変を行ったが実績成果が伴わない停滞状態に、中央政治局幹部では、看過できない不透明な海外事業とその投資内容について、2013年までにCNPC幹部の訴追をすすめてから、指示者(黒幕)周永康を追い詰めた、とする報道もあった。 周永康が粛清された理由としては胡温派との対立だけでなく、2010年に薄熙来と周永康による習近平批判の録音が2012年の王立軍の亡命騒ぎをきっかけに耳にした中国共産党総書記に就いて日が浅い習近平の逆鱗に触れたこと、周永康の再婚が後ろ盾であった上海幇の総帥である元党総書記江沢民の不興を買ったこと(周永康の前妻は江沢民の親族)の2点を産経新聞は挙げている。 またNHKが中国政府関係者に取材して得た情報を基に行った2018年2月13日の報道によると、周永康の国家機密漏洩罪というのは、2012年8月に北京で胡錦濤国家主席と北朝鮮の張成沢国防委員会副委員長の会談が行われたが、この際、周永康が部下を使った盗聴により、張成沢が胡錦濤に金正男を後継者に就けようと思っていると発言したことを掴み、2013年初頭に周永康がこの情報を金正恩に密告したことであるという。そしてこれが金正恩の逆鱗に触れ、その後の張成沢の処刑と金正男の暗殺につながったという。密告した理由については、周永康はこの時汚職容疑で捜査を受けており、金正恩が後継者指名を得た2010年に金正日・金正恩親子と肩を並べた唯一の外国人という緊密ぶりを内外に示していた北朝鮮とのパイプを利用することで中国指導部の動きをけん制しようとしたのではないかと推測されている。一方、中華人民共和国外交部はこの報道を「でたらめ」と記者会見で否定した。
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