粛清理由と背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 08:53 UTC 版)
「ベンジャミン・シーゲル」の記事における「粛清理由と背景」の解説
暗殺は、建設費の浪費、資金横領を理由とするニューヨークマフィアの、又はシカゴアウトフィットを含めた全米シンジケートの、粛清と一般に信じられている。建設現場では闇市の資材商人の窃盗が横行したが、シーゲルがこの窃盗団の存在に気づき途中からバックリベートを受け取っていたとも、多額の資金を掠め取って愛人ヒルに貢いでいたとも言われた。シーゲル暗殺は、1946年12月の全米シンジケートのハバナ会議で決定されていたとも言われたが、ランスキーの助命要請で2度処刑を引き延ばされたことに忍耐できなくなったグループが実行したとも言われている。 シカゴアウトフィットが裏で絡んでいるとの説も根強く信じられた。アウトフィットはシーゲルとドル箱の競馬通信社を巡って対立していた。ニューヨークを含めて全米シンジケートはシーゲルが競馬通信社の利権を放棄すべきとの立場だった。シーゲルはフラミンゴの資金不足に対応するため、競馬通信社のサービス料金を2倍に値上げし、西海岸一帯のブックメーカーから苦情が殺到した。これがアウトフィットとの摩擦を激しくしたと信じられた。また、地元マフィアのドラグナ一家のジャック・ドラグナと共同で競馬通信社を運営していたが、ある会議でドラグナを運営から排除することにしたといい、これを恨んだドラグナ一味が暗殺に関わったとの説もある。 ヴァージニア・ヒルは、元アウトフィットの闇金運びの女で、過去、地下賭博の精算金を持って全米を行き来していた。ヒルを使ってニューヨーク勢の金を垂れ流させ、シーゲルを自滅に追い込んだのではないかという謀略説もある。ヒルによってシーゲルの一挙手一投足がアウトフィットに筒抜けだった。 シーゲルは仲間を呼び集めてニューヨークから独立したカリフォルニアシンジケートを創ろうとしていたとも言われた。シーゲルは若い時に優秀な暴力装置としてライバルのせん滅、組織の防衛に力を発揮し、仲間を助け、へまをせず、火の粉が自分に降りかかっても自分で振り払い、組織に自分がいかに有用な人間かを常に証明してきた男だった。カリフォルニアに移った後のシーゲルの我儘な振る舞いは寛大に扱われ、譲歩するのは常にニューヨーク側で、シーゲルに対する信頼は変わらなかった。変わったのはシーゲルの方で、ハリウッドの映画スターに囲まれ、華やかな社交界で天狗となり、昔の仲間との絆をスラム街の記憶と一緒にごみ箱に捨てた。ニューヨークの仲間は、彼に最大限の屈辱を与えるべく、その死を完全無視した。 シーゲルを建設責任者という大役に任命したランスキーは、その任命責任とフラミンゴプロジェクトの統括責任者としての二重の責任があり、ランスキーにもペナルティがあったと見られたが、粛清は免れた。またフラミンゴ投資を積極的に勧めたフランク・コステロも投資仲間に恨まれたが、ルチアーノの仲裁で金を返すなどして事なきを得たという。
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