第3回の翻訳 (新々訳)
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「谷崎潤一郎訳源氏物語」の記事における「第3回の翻訳 (新々訳)」の解説
3度目の翻訳は、1964年(昭和39年)から1965年(昭和40年)に『潤一郎新々訳 源氏物語』全10巻別巻1として刊行された。この翻訳は「新々訳」「11巻本」などと呼ばれている。 新々訳は、新字・新仮名遣いに統一して名作を収録する、全80巻からなる中央公論社版「日本の文学」シリーズの一つとして発刊された「日本の文学23谷崎潤一郎(一)」が大変好評であったために、谷崎訳『源氏物語』も新字・新仮名遣いに改稿して出版したものである。 新々訳の作業には、谷崎自身はあまり関わってはいなかったとされる。当初谷崎は、問題点の洗い出しなどの準備作業を中央公論社の社員が行うように求めたが、当時の中央公論社では時間的・能力的に困難であり、結局それらの作業は当時東京大学で『源氏物語』を講じていた秋山虔およびその指導下にあった助手や大学院生たち若手学者グループによって行われることとなった。新々訳については、当時すでに死去していた山田孝雄は関わっていないため、旧訳と新訳にあった「校閲 山田孝雄」の表記はなく、谷崎の名前のみがクレジットされている。また、玉上らの京都大学のグループも作業には関わってはおらず、新訳の時に谷崎の口述筆記を務めた伊吹和子は中央公論社の編集部員として本作業に関わっている。 新々訳の第9巻以降は、谷崎没後の発売となった。中央公論社では、谷崎死去の際「新々訳源氏物語の原稿はすべて完成しており、未刊の巻についても概ね予定通り刊行される。」旨広告している。また谷崎の葬儀の際には、発売予定であった第9巻を特に一部前倒しして作成し、伊吹が谷崎の棺に納めている。 配本と巻立 第1 1964年(昭和39年)11月25日桐壺より若紫まで 巻2 1965年(昭和40年)1月20日末摘花より花散里まで 巻3 1965年(昭和40年)2月20日須磨より松風まで 巻4 1965年(昭和40年)3月20日薄雲より胡蝶まで 巻5 1965年(昭和40年)4月20日蛍より藤裏葉まで 巻6 1965年(昭和40年)5月20日若菜上、下 巻7 1965年(昭和40年)6月20日柏木より匂宮まで 巻8 1965年(昭和40年)7月20日紅梅より総角まで 巻9 1965年(昭和40年)8月20日早蕨より夢浮橋まで 巻11 1965年(昭和40年)10月20日凡例、隆能源氏物語絵巻、年立図表、人物略説、人名名寄、主要人物官位年齢一覧
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