第1留 -ピラトに裁かれる-とは? わかりやすく解説

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第1留 -ピラトに裁かれる-

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 06:09 UTC 版)

ヴィア・ドロローサ」の記事における「第1留 -ピラトに裁かれる-」の解説

第1留は現在、男子校敷地となっている場所にあり、16世紀以来ヴィア・ドロローサ始発点に定められている。この場所は神殿の丘北側位置し、第2神殿時代にはアントニオ要塞があった。キリスト教伝承では、イエスはその要塞の中でピラト裁かれたとされている。ただし歴史家、あるいは考古学者多くは、総督官邸アントニオ要塞ではなく、現在ダビデの塔建てられているヤッフォ門傍らにあった推定している。 「 人々は、イエスカイアファのところから総督官邸に連れて行った明け方であった。しかし、彼らは自分では官邸に入らなかった。汚れない過越食事をするためである。そこで、ピラトが彼らのところへ出て来て、「どういう罪でこの男を訴えるのか」と言った。 彼らは答えて、「この男が悪いことをしていなかったらあなたに引き渡しはしなかったでしょうと言ったピラトが、「あなたたち引き取って自分たちの律法に従って裁け」と言うとユダヤ人たちは、「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません」と言った。それは、御自分どのような死を遂げるかを示そうとして、イエス言われ言葉実現するためであった。 そこで、ピラトもう一度官邸入りイエス呼び出して、「お前がユダヤ人の王なのか」と言った。-『ヨハネによる福音書18:2818:33十字軍時代キリスト教伝承に従ってアントニオ要塞遺構の上礼拝堂建てられたのだが、サラーフッディーンによる1187年エルサレム占領後礼拝堂イスラム墓地改装された。その後14世紀マムルーク朝によるエルサレム支配時代軍司令官官邸をも兼ねたマドラサ建てられオスマン帝国支配下の初頭にはパシャ住居、あるいは政府施設としても使用された。19世紀になると、今度トルコ軍兵舎改装されており、現在の男子校の姿に落ち着いたのは1923年のことである。このような変遷もあって、敷地内には過去いくつも建造物築かれた。ただし、校庭十字軍時代ヴィア・ドロローサ敷石残されている以外、聖墳墓教会内ののような過去留める遺物現存していない。なお、学校施設内には授業終了後にしか入ることができない毎週金曜日の午後フランシスコ会修道士先導のもと、この場所から行進が始まり多く巡礼者観光旅行者が後に続く修道士巡礼者有志道中木製十字架背負って繁華街練り歩く。その行進のさなか、各留ごとに足を止め苦難の道歩んだイエスまつわる十四場面回顧される。各留にはそれぞれ固有の礼拝があるのだが、いずれも最後にスターバト・マーテル祈り捧げるのが慣例になっている

※この「第1留 -ピラトに裁かれる-」の解説は、「ヴィア・ドロローサ」の解説の一部です。
「第1留 -ピラトに裁かれる-」を含む「ヴィア・ドロローサ」の記事については、「ヴィア・ドロローサ」の概要を参照ください。

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