第五海洋丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 01:28 UTC 版)
第五海洋丸(だいごかいようまる)は、太平洋戦争中に大日本帝国海軍が建造した6隻の海洋測量船(200トン型海洋観測船)の一隻で、当初の名称は「第五海洋」だった。1942年(昭和17年)7月に三菱重工業下関造船所で竣工し、姉妹船として「第一海洋」から「第六海洋」までが存在した。 もともと、海軍水路部には特設測量艦「第三十六共同丸」や潜水母艦を改造した測量艦「駒橋」が存在した。これらの任務は海岸測量の作業地への班員輸送、作業地沖合の測深などの作業への従事であったほか、戦時中には敵前測量の敢行と速成海図の艦隊への供給などを行っていた。そのため、測量艦とは別に、文官で運営できる水路部専用の海洋観測船の建造が望まれた。こうした経緯から1937年(昭和12年)に建造の構想が立てられ、翌々年には1隻目となる「第一海洋」が竣工している。 これら6隻は横須賀海軍基地の水路部に所属し、海象観測や気象観測に従事した。戦争末期には特攻艇「震洋」や小型潜水艇「海龍」から成る第一特攻戦隊の司令艇となった。1943年(昭和18年)に第五、第六の2隻は、アリューシャン列島のキスカ島撤退作戦に参加し、往復時に気象・海象観測を行っている。 1944年(昭和19年)に第四、第五を除く4隻は沈没。終戦後、残った2隻は新たに設立された海上保安庁へ移管され、「第四海洋丸」「第五海洋丸」と改称されて、再び水路部(現・海洋情報部)で海洋測量船としての作業に従事した。 重量は200総トン、全長34メートル。400馬力のディーゼルエンジン1基を備え、最高速力は11.5ノットの鋼鉄船だった。
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