第五世代の台頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 21:16 UTC 版)
1980年代の半ば、いわゆる第五世代と呼ばれる新世代の監督たちが中国映画を外国に知らしめた。 文革以後、中国映画を製作した最初の世代の映画製作者たちは、ストーリーテリングの伝統的方法を捨て、より自由なアプローチを選択した。その多くは1982年に北京電影学院を卒業している。『一人と八人』(1983年)や『黄色い大地』(1984年)(陳凱歌監督、張芸謀撮影)は、第五世代の登場をはっきりと知らしめた。最も有名な第五世代の監督である陳凱歌や張芸謀は、中国映画の観客によって賞賛されるだけではなく、西洋や日本のアートハウスの観客に賞賛された。二人は『子供たちの王様』(1987年、陳凱歌)、『紅いコーリャン』(1988年、張芸謀)、『菊豆』(1989年、張芸謀)、『紅夢』(1991年、張芸謀)、『さらば、わが愛/覇王別姫』(1993年、陳凱歌)といった名作を作った。田壮壮の映画は、西洋の観客にはそれほど知られていなかったが、マーティン・スコセッシなどの監督たちに注目された。田壮壮の代表作には『盗馬賊』(1986年)、『青い凧』(1993年)などがある。スタイルと主題は非常に多様で、第五世代の監督たちの映画は、ブラック・コメディである黄建新の『黒砲事件』(1985年) から、難解な陳凱歌の『人生は琴の弦のように』(1991年)までの幅を持っていたが、彼らは共産主義時代以前の中国人の映画人によって作られた社会主義リアリズムの伝統を拒絶する点で共通している。 他に注目すべき第五世代の監督たちには、呉子牛、胡玫、そして周暁文がいる。彼らの政治的に微妙な作品は、中国では上映を禁じられた。 第四世代もまた活躍の場に戻った。第五世代の登場後にそう呼ばれるようになった彼らは、1966年以前に専門的な訓練を受けた監督たちで、文化大革命によってキャリアを失速させられていた。特に呉天明は西安電影制片で、主要な第五世代の監督たちに融資するのを助け、『古井戸』(1986年)や『變臉 この櫂に手をそえて』(1996年)のような作品を作り、素晴らしい貢献をした。 第五世代の動きは1989年の天安門事件で事実上終わったが、監督たちは注目すべき作品を制作し続けている。彼らのうち何人かは国外に去った。呉天明はアメリカにとどまり(のちに帰国)、黄建新はオーストラリアに去り、他の多くの者がテレビ関係の仕事に転じた。
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