第一次世界大戦以降 - 共産主義との差異化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 14:13 UTC 版)
「社会民主主義」の記事における「第一次世界大戦以降 - 共産主義との差異化」の解説
1914年の第一次世界大戦勃発と各国の社会民主党が自国の戦時体制を支持したことによる第二インターナショナルの崩壊後(「城内平和」)、各国の社会民主党から左派が分離し、ロシア十月革命の影響によって生じたボルシェヴィキとの繋がりから新たに共産党を名乗る一方、右派は引き続き社会民主党を名乗った。ここにおいて修正主義、民主社会主義、社会改良主義の流れを汲むものが「社会民主主義」と呼ばれるようになり、革命主義的マルクス主義としての「共産主義」と対比されるようになった。 「民主社会主義#社会民主主義との関わり」も参照 第一次世界大戦から第二次世界大戦に至るまでの間、解散した第二インターナショナルの流れを汲む社会民主主義者(第二半インターナショナル、労働社会主義インターナショナル)とソ連系の第三インターナショナル(コミンテルン)への帰属意識を表明する共産主義者は人民戦線を組むことはあったが、第二次大戦後の東西冷戦で対立は決定的となり、社会主義インターナショナルによる1951年の『フランクフルト宣言』では、『民主的社会主義の目的と任務』が採択され、議会制民主主義に立脚することと、プロレタリア独裁を肯定するレーニンの共産主義に反対する民主的社会主義の路線を採ることを明確にした。 戦後は、東西ドイツに分割された状況下で、ドイツ社会民主党は激しい党内論争の結果右派が勝利し、1959年に『バート・ゴーデスベルク綱領』を採択し、プロレタリア階級を基盤とする階級政党から西ドイツ国民の国民政党に脱皮、社会民主主義が同党の公的方針となった。また、フランス社会党も1971年の『エピネ宣言』の採択などで、同じく社会民主主義政党に脱皮を遂げた。現在の社会民主主義思想や政策は、西欧ではドイツ社会民主党の『バート・ゴーデスベルク綱領』及び、フランス社会党の『エピネ宣言』以降定着した。 欧州の社会民主主義政党は、1962年の『オスロ宣言』で共産主義と完全に決別したが、日本社会党は左派の反対で採択に参加せず、1966年に綱領的文書『日本における社会主義への道』でプロレタリア独裁を肯定するなど共産主義政党と類似した主張を行い続けた。1986年に至って『新宣言』を採択しマルクス・レーニン主義を放棄はしたが、その後も綱領には「社会主義革命」の文言は残った。 1989年にドイツ社会民主党は、緑の党の進出などエコロジー意識の高まりなどに強く影響された『ベルリン綱領』を採択。20世紀初頭のフォルマル思想や社会地域中心主義などにも目が向けられるようになった。
※この「第一次世界大戦以降 - 共産主義との差異化」の解説は、「社会民主主義」の解説の一部です。
「第一次世界大戦以降 - 共産主義との差異化」を含む「社会民主主義」の記事については、「社会民主主義」の概要を参照ください。
- 第一次世界大戦以降 - 共産主義との差異化のページへのリンク