第一次世界大戦前後と「タトラ」の成立とは? わかりやすく解説

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第一次世界大戦前後と「タトラ」の成立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 01:44 UTC 版)

タトラ (自動車)」の記事における「第一次世界大戦前後と「タトラ」の成立」の解説

レドヴィンカは、1914年から翌年にかけてモデルSシリーズより更に強力なモデルT」シリーズ開発、これらは1920年代中期まで長きわたって生産された(のちには「タトラ」のネーム付けて販売された)。だが1915年新たに就任したネッセルドルフの新経営陣は、自動車部門よりも鉄道車両部門重視する方針を採った。彼らと折り合い悪くなったレドヴィンカは1916年退社しオーストリアシュタイア社へ移った。 レドヴィンカはシュタイアで、ジョイントレス・スイングアクスルを使った後輪独立懸架車を設計しており、以後このタイプ独立懸架多用するうになる。ジョイントレス・スイングアクスルは、古く1903年ドイツアドラー社が開発したシステムで、独立懸架としては最も簡潔なものの一つである。差動装置かさ歯車別体とし、かさ歯車そのまま車軸揺動させるためのガイドジョイントとなる構造である。左右それぞれの車輪直結したハーフ・アクスルには、強度コストの面で不利な自在継手用いないのが特徴であったこの方式はのちに、中・高速域での急激な姿勢変動起こしやすいことから操縦安定性難点があることが顕在化した。結果1960年代以降廃れることになる。しかし1920年代においては自動車後輪使用しうる唯一の独立懸架方式であり、その採用極めて先進的な試みであった第一次世界大戦敗戦オーストリア・ハンガリー帝国解体され、ネッセルドルフ市は新たに成立したチェコスロバキア共和国区域入った街の名前チェコ風のコプジブニツェへと変わり、ネッセルドルフ社もチェコ語名称のコプジブニツェ社(Kopřivnica vozovka a. s.)に改組された。 1919年ブランド名を「タトラ」に変更している。名称は、スロバキアポーランドとの国境カルパチア山系にそびえる名山タトラ山最高峰海抜2,655mのGierlach峰)に由来する試作した4輪ブレーキ装備車をタトラ山地テストしたことからのネーミングである(チェコスロバキア1993年分割されるまで一体の国であった)。

※この「第一次世界大戦前後と「タトラ」の成立」の解説は、「タトラ (自動車)」の解説の一部です。
「第一次世界大戦前後と「タトラ」の成立」を含む「タトラ (自動車)」の記事については、「タトラ (自動車)」の概要を参照ください。

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