社会民主主義との関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 08:04 UTC 版)
「民主社会主義」の記事における「社会民主主義との関わり」の解説
「社会民主主義」という言葉は20世紀初頭の第一次世界大戦勃発と「城内平和」による第二インターナショナル崩壊までは、もともと共産主義、マルクス主義の実践面を指す言葉として使われており、ウラジーミル・レーニンやヨシフ・スターリンらをはじめとするロシア社会民主労働党員も「社会民主主義者」(ソツィアル・デモクラート)を名乗っていた。ロシア社会民主労働党ボルシェビキが共産党に改称し、ソビエト連邦と第三インターナショナル(コミンテルン)が国際共産主義運動の中心となって以降、ドイツ社会民主党などを中心に、社会民主主義はマルクス・レーニン主義と距離を取り、修正主義を意味するようになっていった。ただし、修正主義路線に傾いた当初も社会民主主義勢力は理論的にマルクス主義であった。 一方、フェビアン協会など社会改良主義を掲げていた潮流もイギリスや英連邦などその影響下にある諸国を中心に根強くあり、またフランスやイタリアでは労働組合を中心とするサンディカリスムの潮流が力を持ったなど、マルクス・レーニン主義と別路線の社会主義を追求する動きも無視できない大きさを持っていた。 第二次世界大戦後の1951年6月、社会主義インターナショナルが『フランクフルト宣言』で「共産主義はマルクス主義の批判的精神と相容れない偏狭な神学をつくりだした」と批判し、民主社会主義を正式に採択した。日本社会党は社会主義インターナショナルに加盟していたものの、党内には社会主義協会ら戦前の労農派マルクス主義の流れを汲み、マルクス・レーニン主義を是とする社会党左派勢力も存在しており、それに反発する勢力の一部は社会党を離脱して、1960年1月に「民主社会主義」を掲げる民社党を結成した。民社党は「民主社会主義と社会民主主義は違う」と強調していた。 なお、最も代表的な民主社会主義の例は、サルバドール・アジェンデ政権下(1970年 - 1973年)のチリが代表的である。アジェンデ政権は、政治的自由を保障しており、かつ国民による直接選挙によって成立した政権である。 社会民主主義も民主社会主義も共にマルクス・レーニン主義の暴力革命や一党独裁を拒絶して議会制民主主義を支持する。社会民主主義がマルクス主義的な政治思想を内包する概念であるのに対して民主社会主義はマルクス主義的な考えを放棄する概念であり相違する。現在、先進国の共産党の多くも暴力革命や一党独裁を綱領から放棄しており、社会民主主義との相違が少なくなっているが、現在の社会民主主義政党の多くが議会主義のもと不断の社会改良を通じた平和革命により平等な社会を目指すのに対して、先進国の多くの共産党では議会主義のもと選挙を通じた“体制の変革”を目指す革命を温存している点で相違する。なお、民主社会主義は社会民主主義と同様に議会主義のもと社会改良を主張するがそれが革命であるとの認識はない。
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