第一次世界大戦と戦後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 01:38 UTC 版)
「ギリシャ海軍の歴史」の記事における「第一次世界大戦と戦後」の解説
バルカン戦争の少し前、海軍は駆逐艦と戦艦の艦隊で構成されていた。その任務は、エーゲ海東部のオスマン帝国領の島の奪取とその海域での制海権の獲得であった。その司令長官Pavlos Kountouriotis少将はダーダネルス海峡に直接向き合うレムノス島のMoudros湾に前進基地をつくった。ギリシャはトルコの海峡からの2度の出撃をエリの海戦とレムノスの海戦で撃破し、エーゲ海はギリシャのものになった。 バルカン戦争後、エーゲ海東部の島の帰属を巡ってギリシャとオスマン帝国との対立が深まった。そして、両国は海軍増強に乗り出した。ギリシャは1910年にアメリカから防護巡洋艦「エリ」を購入し、2隻の超弩級戦艦「ヴァシレフス・コンスタンチノス(Vasilefs Konstantinos)」(フランス海軍のプロヴァンス級の準同型艦)と「サラミス」(ドイツ発注)や多数の駆逐艦を発注した。だが、第一次世界大戦勃発により超弩級戦艦の建造は中止され、替わりにアメリカから準弩級戦艦「レムノス」と「キルキス」を購入した。 第一次世界大戦でギリシャは当初中立だった。ギリシャでは三国協商寄りの首相と中立を主張する国王が対立していた。1916年11月、ギリシャに圧力を加えるためフランスがギリシャの艦船を接収した。 それらは1917年7月にギリシャが連合国側で参戦するまでフランス人によって運用され、満足な整備の受けられていなかった艦艇をフランス海軍で整備すると共に、最新の兵器を搭載してエーゲ海での船団護衛や哨戒任務に使用された。ギリシャ参戦後、フランスはギリシャ海軍に艦艇を直ちに返還。以後はエーゲ海での連合国の作戦に参加し、それに続きウクライナ方面にあったデニーキン将軍の白軍を支援するための遠征や希土戦争での作戦に参加した。 希土戦争敗北後の1920年代から1930年代のギリシャは政治的混乱の時期であり、経済も悪化した。それ故、この期間海軍では4隻の駆逐艦の近代化改装と1927年にフランスから購入した潜水艦6隻、1929年にイタリアから購入した駆逐艦4隻のほかは大型艦で新たな戦力の増強は無く、2隻の準弩級戦艦も殆ど行動する事はなかった。
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