コートニー・ホッジス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/01 09:49 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動コートニー ホッジス | |
---|---|
1887年1月5日 - 1966年1月16日 | |
![]() |
|
生誕 | ジョージア州 ペリー |
死没 | テキサス州 サンアントニオ |
軍歴 | 1906 – 1949 |
最終階級 | ![]() |
コートニー・ヒックス・ホッジス(Courtney Hicks Hodges 1887年1月5日 - 1966年1月16日)は、アメリカ合衆国の軍人。2つの世界大戦に参戦した経験をもつ。主にヨーロッパで戦果を上げる。
第一次世界大戦と戦後
第一次世界大戦中の活躍で、殊勲十字章を授与される。1939年ホッジスは米軍歩兵学校の副校長になり、1941年には校長となった。
第二次世界大戦
1941年5月、ホッジスは陸軍少将に昇進した。対独戦においてノルマンディー上陸作戦以降はオマール・ブラッドレー将軍が第12軍集団司令官に就任したのを引き継ぎ第1軍を指揮し、彼の師団が最も早くパリに到着した。バルジの戦いではドイツ軍の反撃を遅らせるのに大きな役割を果たした。そして1945年4月15日に大将に昇進。対独戦が終わると、ホッジスとその師団は対日戦に参加、ホッジスもドイツ、及び日本のそれぞれの降伏時に現場で立ち会うこととなった。
戦後
- コートニー・ホッジスのページへのリンク