竹村家
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竹村家
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竹村武左衛門(たけむら ぶざえもん) 本所の南割下水の半欠け長屋に住む浪人。本人は「伊勢の津藩藤堂家の家臣であった」と言うが、実態は数代前の先祖が藤堂家に仕官(無役)していただけであり、自身には藤堂家に仕えた経験はない。丹石流の自称達人。妻・勢津と4人の子を持ちつつも、収入はほとんど酒代に使ってしまう。磐音、柳次郎とは用心棒仲間。後に侍の身分を捨て、磐城平藩安藤家の下屋敷門番となる。 竹村勢津(たけむら せつ) 武左衛門の妻。当てにならない夫を支えつつ、4人の子を養う強い母である。 竹村早苗(たけむら さなえ) 武左衛門の長女。父が仕事の最中に怪我をしたのを機に磐音の勧めで尚武館道場へ奉公に出る。尚武館道場が断絶した時は一時宮戸川に奉公に出ていたが、再興後は再び尚武館道場へ奉公する。尚武館道場の門弟、田丸輝信と結婚した。 竹村秋世(たけむら あきよ) 武左衛門の次女。江戸に戻ってきた奈緒が開いた「最上紅前田屋」の店開きを手伝ったことがきっかけで、紅染めや紅に興味を持ち正式に奉公することとなった。奈緒が関前で紅花栽培を始めるに至って、店の運営を任される。 竹村修太郎(たけむら しゅうたろう) 武左衛門の嫡男。早苗・秋世の弟で父親に連れられて尚武館道場へ入門するが、稽古に気持ちが向かわず、黒門町若衆組と行動を共にしていた。後に改心し、研ぎ師になるために鵜飼百助に弟子入りする。 竹村市造(たけむら いちぞう) 武左衛門の次男。「最上紅前田屋」で働く秋世を訪ねたことがきっかけで紅染めに興味を持ち、紅染め職人になるために三代にわたって紅染めを生業としてきた本所篠之助のもとで奉公する。
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