立命館大学国防学研究所長とは? わかりやすく解説

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立命館大学国防学研究所長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 23:05 UTC 版)

石原莞爾」の記事における「立命館大学国防学研究所長」の解説

石原立命館総長中川小十郎関わりをもったのは舞鶴要塞司令官時代のことで、中川舞鶴官舎訪れ立命館日満高等工科学校設立への協力要請したことがきっかけとなっている。京都師団長時代には立命館大学中川会館東亜連盟に関する講演行ったほか、昭和15年1940年9月には『世界最終戦論初版立命館出版部から刊行されている。 予備役編入後昭和16年1941年4月石原立命館大学新設され国防講座講師として招待された。 日本知識人西洋知識人比べて軍事学知識貧弱であり、政治学経済学教え大学には軍事学講座必要だ考えていた石原は、大学文部省から圧力があるかもしれない総長確認したうえで承諾した昭和16年の『立命館要覧によれば国防学が軍人のものだという旧時代的な観念清算して国民国防知識を得ることが急務というのが講座設置理由であった。さらに国防論、戦争史、国防経済論などの科目国防学研所を設置し、この研究所所長石原就任した講師には第一次世界大戦史の酒井鎬次中将ナポレオン戦史伊藤政之助少将国体学の里見岸雄田中智学息子)などがいた。週に1回から2回程度講義担当し、たまに乗馬部の学生課外教育行い余暇読書過ごした。 しかし東條による石原監視活動憲兵によって行われており、講義内容から石原宅の訪問客まで逐一憲兵隊本部報告されている。大学への憲兵特高警察圧力強まったために大学辞職して講義後任里見任せた送別会開かれ総長等の見送り受けて京都去り帰郷したこの年講義をまとめた『国防政治論』を昭和17年1942年)に聖紀書房から出版した

※この「立命館大学国防学研究所長」の解説は、「石原莞爾」の解説の一部です。
「立命館大学国防学研究所長」を含む「石原莞爾」の記事については、「石原莞爾」の概要を参照ください。

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