立命館大学の受難
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1953年にリーグ戦に参加して以降立命は常にリーグ下位を低迷した。1970年には平井英嗣が卒業と同時にコーチに就任。監督仁ノ岡登(後に総監督)とともに指導に当たるが、1971年にチームは近畿学生リーグに陥落。1983年に1部に定着するまでに9年間の2部リーグを経験する。1984年に平井英嗣がヘッドコーチに就任。1985年に6勝2敗で初の同率2位に躍進するものの、1980年代には関学・京大の2強の壁は破ることが出来なかった。しかし、1987年スポーツ推薦第1期生が入学するなど、立命は確実に実力を蓄えていった。
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