立命館大学国体学科創設
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昭和16年5月、里見は『国体法の研究』を読んで感銘した、立命館大学の中川小十郎総長の懇請を受けて、立命館大学に憲法講座を担任。中川総長は翌年、里見に国体学科新設を要望、主任教授を依頼した。しかし文部省は、国体が学問になるか否か疑問だとして、なかなか許可しなかった。そこで里見は、文部省担当課長、局長に面談し、講義内容の「国体学式目要綱試案」を提示説得し解決した。かくして大学機関に初めて国体学科という学科が誕生した。一方、里見の学説や主張を不敬であるとする心情的国体論者や右翼から、里見を排撃しようという激しい批判が起こり、昭和18年が頂点となった。
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