突然の死去
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2012年(平成24年)9月10日17時前、東京都江東区東雲の1人暮らしの自宅マンションで倒れているのが、妻と秘書官、警視庁警備部の警護担当者により発見された。18時前、港区の虎の門病院へ緊急搬送されたが、死亡が確認された。満73歳。死亡当日の午後に金融庁で予定されていた会議に本人が「行けなくなった」として出席していなかった。現場の状況から警視庁東京湾岸警察署は首を吊って自殺を図ったとみて捜査を開始し、その後の捜査で松下の自室に野田佳彦内閣総理大臣と藤村修内閣官房長官、そして夫人に宛てた遺書がそれぞれ発見されたことから警視庁は死因を自殺と正式に断定した。 松下急逝の一報を受け、野田は首相官邸でのインタビューに「とても驚いている。言葉も見つからない。心からご冥福をお祈りいたします。」と答え、19時37分に虎の門病院に弔問に訪れた。所属する国民新党の自見庄三郎代表は、「前立腺の病気があったが完治し、ことし6月に閣僚になるときには、『もう大丈夫だ』ということだった。」「地味だが真面目にこつこつ仕事をし、私も誇りに思っていた。」と述べた。また、松下の遺体と面会した亀井静香元国民新党代表は「ことしの春、松下氏は、癌で病院に入院していたことがあり、お見舞いに行ったことがある。亡くなられた詳しい状況や死因は分からないが、お悔やみ申し上げたい。」と述べた。 また、松下が死去したことに伴い、安住淳財務大臣が金融担当大臣事務代理を兼任し務めることとなり、郵政民営化担当大臣事務代理は野田が兼任し務める。 なお、松下が自殺した日の3日後に発売(9月20日号・一部地域ではすでに発売済)される週刊新潮の『73歳「松下忠洋」金融担当大臣 痴情果てなき電話と閨房』と題された記事で、松下前大臣の女性問題をスクープした記事が掲載されていて、因果関係を指摘する声もあった。 その後、松下の死去に伴う鹿児島3区の補欠選挙が10月28日に施行されることになり、松下の後継候補として国民新党は、松下の政策秘書を務めていた野間健・前大臣秘書官を公認候補として擁立した。一方、松下が以前に所属していた自由民主党からは長年のライバルである宮路和明が7選を目指して出馬した。補欠選挙は、野間と宮路による事実上の一騎討ちの展開となったが、野田政権発足以降初となる国政選挙ということもあり、民主党執行部が応援に駆け付けるという与党の全面支援の下で野間は挑んだものの、宮路に及ばず敗北した。 しかし、その2か月後に実施された第46回衆議院議員総選挙においては、自公連立への政権交代がなされ民主党政権を終焉に至らすという猛烈な逆風が吹いていた中で、野間は宮路を破って初当選した(宮路は比例復活)。
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