突然の活動停止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 03:02 UTC 版)
2006年春のF1構想頓挫以後、同年8月1日にそれまで未発表であった親会社が「アキヤマホールディングス」であることを公表。同社が事業方針を転換したことを理由にSUPER GT以外の全てのレース活動からの即時撤退を表明するなどレース活動が収束に向かう。 「アキヤマホールディングス」は、北海道の医薬品卸・秋山愛生舘(1998年にスズケンに合併)の創業者一族である秋山新が、持株を売却した資金を元に設立した投資会社で、当時F1のスーパーアグリF1チームの設立などにも関与していた。 直後の8月9日には「アキヤマホールディングス」からの資金供給が途絶えたことを理由にモータースポーツからの完全撤退が発表され、8月20日に行われたSUPER GT第6戦(鈴鹿1000km)を最後にシーズン途中でのチーム撤退となった。 参戦していたSUPER GT(GT300クラス)については、撤退時点で谷口信輝/密山祥吾組がランキングトップであったこと、参加車両減を憂いた周囲の計らいにより実車のメンテナンスを担当していたR&D SPORTが丸ごとチーム運営を引き継ぎ、鈴木利男を新監督に迎え、2006年シーズンの残りレースを戦った(ランキングは3位で終了)。またフォーミュラ・ニッポンは、元ラレス代表取締役張勤尚が代表取締役を勤めていたEMSマネージメント(2006年5月19日設立)がチーム運営を引き継ぐ形で最終戦まで参戦した(体制変更によりドライバーは密山祥吾から平中克幸に交代された)。 ディレクシブの公式ウェブサイトは同年8月9日の撤退発表を最後に更新を停止し、芳賀のブログは過去分を含む全記事が削除された。翌2007年シーズンに向けたチームの動向や、芳賀の進退などについての新たな発表のないまま、2007年1月に公式ウェブサイトも閉鎖し、チームは消滅した。2007年4月30日株主総会で解散が議決された。
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