突然の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 18:35 UTC 版)
「アルフレート・ノイバウアー」の記事における「突然の終焉」の解説
順風満帆の復帰を果たしたかに見えたメルセデスチームの活動は、1955年のル・マン24時間レースにおいて暗転した。 このレースにおいて、ピエール・ルヴェー駆るメルセデス・ベンツ・300SLRはレース中のアクシデントにより観客席に飛びこみ、80人以上の人命を奪い、100人以上の重軽傷者を出した。今日ではこの事故は、4台の車が交錯した結果偶発的に起きたものであると考えられており、ドライバー、あるいは車両、いずれにも責任を問える性質のものではなかったとみなされているが、メルセデス・ベンツはシーズン後に全てのレース活動から撤退することを決断した。これにより、ノイバウアーもレースから引退した。 レース活動からの撤退という決定により、メルセデスチームはレースカーの引退セレモニーを行い、引退する車両にファンジオらとともにシートをかけた際には涙を浮かべたという。 引退後は、ダイムラー・ベンツの博物館(英語版)の館長に就任し、レースに関する著述活動こそ積極的に行なったものの、レースそのものには一切関わることなく、1980年にシュトゥットガルトで死去した。その名は今日でも、自動車レース黎明期の名監督として残っている。
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