突然の自殺とは? わかりやすく解説

突然の自殺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/21 03:58 UTC 版)

加藤道夫」の記事における「突然の自殺」の解説

同年1953年昭和28年)の12月は、16日頃までは静岡県田方郡上狩野村(現・伊豆市)の嵯峨沢温泉で、ミュッセ翻訳マリアンヌ気紛れ』を仕上げて清書し9日には宿から妻の治子に手紙出した。 こんな贅沢な宿屋にいると毎日苦労している治坊のことを考えて心苦しいでも、若林の家ではどうしても落着いて仕事手につかないので、勘弁して下さい岩波ミュッセだけはどうしても今月中渡してしまわねばならないので。来年は必ず小さな家みつけて引越すから、もうすこし我慢して下さい来年は必ずいいことあるよう努力します身体の調子いいです十六日夜に帰ります風邪ひかないように頑張って下さい。 — 加藤道夫加藤治子への書簡」(昭和28年12月9日付) しかし帰京した後の12月22日の夜、加藤自宅書斎で、本棚の上段のパイプ寝巻の紐を括り付け、少し腰が床から浮いたような状態で縊死自殺した同居していた姪の幸子によると、就寝前に加藤部屋の前を通った時に、扉の下からオレンジ色の光が洩れていて静かだったという。その夜更け帰宅した妻の治子が加藤の死を発見したベッド枕元には食パン歯磨き粉があった。 妻の治子と芥川宛て遺書には、「僕は幼にして罪を犯され、その記憶が、いまに忌しく、地獄苦しみ…」という言葉書かれてあり、遠因には、幼時期に誰かから悪戯わいせつ行為)をされた体験があったことがうかがわれた。加藤自殺した日、中村真一郎原田義人矢内原伊作らが忘年会催していたが、加藤欠席して来なかった。 翌日12月23日訃報聞いて三島由紀夫加藤邸に駆けつけた。治子夫人によると、三島心底から加藤の死を悼んでいるのが分ったという。他にも、大阪にいた芥川比呂志以外の岸田国士矢代静一中村真一郎木下順二観世栄夫北見治一神山繁仲谷昇小池朝雄らが駆けつけ、この日に仮通夜があった。翌日12月24日本通夜が行われ、告別式12月25日であった

※この「突然の自殺」の解説は、「加藤道夫」の解説の一部です。
「突然の自殺」を含む「加藤道夫」の記事については、「加藤道夫」の概要を参照ください。

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