ポーランド国内の反応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 10:14 UTC 版)
「ポーランド空軍Tu-154墜落事故」の記事における「ポーランド国内の反応」の解説
ウィキメディア・コモンズには、2010年大統領機墜落後のワルシャワに関連するカテゴリがあります。 ポーランド ポーランドのトゥスク首相は、事故原因の徹底究明を命じる一方で、緊急閣議を招集した。トゥスク首相は記者会見で「第二次大戦後のポーランドの歴史でもっとも悲劇的な出来事だ」と述べた。大統領代行に就任したコモロフスキ下院議長は7日間の国家服喪を宣言した。カチンスキ大統領の12月の任期満了にともない、次期大統領選は同年秋に行われる予定だったが、突然の死去にともない6月20日に繰り上げて実施された。 ポーランド国内では国民の間に大きな衝撃が広がり、ワルシャワの大統領府には半旗が掲げられ、弔問の花束やろうそくの火を持った大勢の市民が集まったという。 共産主義体制時代に自主管理労組「連帯」の仲間としてカチンスキ大統領とともに活動したレフ・ヴァウェンサ(日本では「ワレサ」の読みで知られる)元大統領は事故の一報を聞き「思いもよらない悲劇だ」と絶句したという(AFP通信)。 第三共和制のアレクサンデル・クファシニェフスキ第3代大統領は、ポーランドのテレビネットワークTVN24(英語版)に対し「ここは呪われた場所である。背筋がゾッとする。ポーランド第二共和国の最初の花はスモレンスク周辺の森で殺され、そして今、スモレンスクの空港に近づいたときに第三共和制の知的エリートがこの悲劇的な飛行機墜落で死んだ」と語った。 トゥスク首相は「現代世界は、これほどの規模の悲劇をかつて見たことがない」と表現した。 レシェック・ミレル(英語版)前首相は自らもヘリコプター事故で在職中に負傷したことがあるが、ポーランドの航空機は交換の必要に迫られていたことで知られる旨を語り、「私はかつて、我々はいつか葬儀で出会うだろう、それが保有機材全体を更新する決断をするときになるだろう、と発言したことがある」と発言した。 2010年4月13日、ポーランド政府は4月17日に今般事故犠牲者の国葬をワルシャワ市内で、またカチンスキ大統領夫妻の国葬を4月18日にポーランド南部の都市クラクフで執り行うことを発表した。ところが、事故から4日後にアイスランドで大規模な噴火が発生したため、EU圏内で飛行が禁止されたことを受け、アメリカのオバマ大統領をはじめとした国賓が来訪できない事態となった。 ポーランドの作曲家であるヤン・ポガニーが追悼曲として『レクイエム』を発表した。
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