秋冬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/23 00:05 UTC 版)
「秋冬」(しゅうとう)は、中山丈二の作詞、堀江童子の作曲による楽曲。中山の遺作にあたる[1]。
概要
1980年6月、銀座を中心に弾き語りをしていた[2]中山丈二が愛用のギターと1本のデモテープを残し、36歳の若さで逝去した。そのデモテープに入っていた曲が「秋冬」である[1]。当時、親交のあった関口宏、峰岸徹、カルーセル麻紀らが協力しあい、自主制作で「秋冬」のレコードを400枚製作し、それが密かに聴き続けられてきた。
その後、この曲は銀座、赤坂、六本木などで静かなブームとなっていた[2]。『アフタヌーンショー』や『3時にあいましょう』などでも紹介された[2]。
1983年、橘美喜のシングルリリースをきっかけとした「秋冬」ブームが起き、1984年頃にかけて数名の歌手によって競作された。その際、「中山本人の歌っているものが聴きたい」とRIV.STAR RECORDSに要望があったため、オリジナル版も発売された。デモテープ音源から声だけを取り出し、新たな演奏と組み合わせる手法により制作された。
1984年、高田みづえは『第35回NHK紅白歌合戦』にこの楽曲で5年連続、7回目の出場を果たしたが、翌1985年6月に芸能界を引退したため、これが最後の紅白出演となった。
中山丈二のシングル収録曲
1980年盤
- 上述の自主制作による追悼盤
1983年盤(RIV.STAR RECORDS:7RC-0017)
- 両曲とも、作詞:中山丈二、作曲:堀江童子、編曲:竜崎孝路
- 秋冬(3:46)
- 秋冬カラオケ(3:46)
- ‘’‘’桜坂
カバー
1983年から1984年の競作
「秋冬」 | |
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原大輔 の シングル | |
B面 | 恋唄遊び |
リリース | |
ジャンル | J-POP |
レーベル | ディスコメイト |
チャート最高順位 | |
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「秋冬」 | |
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三ツ木清隆 の シングル | |
B面 | 倖せづかれ |
リリース | |
ジャンル | J-POP |
レーベル | CBSソニー |
チャート最高順位 | |
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「秋冬」 | ||||
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高田みづえ の シングル | ||||
初出アルバム『秋冬~季節めぐり』 | ||||
B面 | 北へ | |||
リリース | ||||
ジャンル | ポップス | |||
レーベル | ユニオンレコード | |||
チャート最高順位 | ||||
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高田みづえ シングル 年表 | ||||
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- 橘美喜
- 原大輔
- 小田陽子
- 1983年のシングル(編曲:矢野立美)、c/w「ジェラシーはDameよ」
- 三ツ木清隆
- 堀江童子 ※作曲者によるセルフ・カバー
- 1983年のシングル(編曲:馬飼野俊一)、c/w「傘はじゃま」
- 高田みづえ
- やしきたかじん
- 1984年 ※カセット・テープのみの発売
- 2014年のアルバム『たかじん やっぱ好きやねん -シングル・コレクション-』に収録
- ロス・プリモス
- 1984年のシングル、c/w「別れるのになぜ」
- 村上幸子
- 1984年のアルバム『酒場すずめ』に収録
- ラブ・サントス
- 1984年のシングル(編曲:佐伯亮)、「おんな虫」c/wに収録
その他にカバーした歌手
関連項目
福山雅治
- 『秋歌』 - 三ツ木清隆バージョン収録
- 『秋の夜長と上手につきあう17の知恵』 - 高田みづえバージョン収録
脚注
秋 - 冬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 01:53 UTC 版)
夏場は休養に充て、日本ダービー以来となる3か月ぶりの復帰戦は、ひさびさの地元ホッカイドウ競馬での出走となる北海優駿であった。17日後に出走予定のセントライト記念で3着以内に入って、優先出走権を獲得しなければ菊花賞に出走できないため、馬体重プラス18キログラムという余力残しでの出走となった。得意ではないダートだったこともあり、苦しいレースとなったが、最後は1/2馬身差で勝利し、単勝1.0倍の断然人気に応えた。続くセントライト記念では、ほかに重賞勝ち馬がおらず、前走で増えた馬体を12キログラム絞っての出走となり、単勝1.3倍の1番人気となった。レースでは15頭立ての13番枠という外枠だったこともあり、前に壁を作れずに掛かってしまい、2コーナーで先頭に立つことになった。しかしその後は落ち着いてレースを進め、直線で差を詰めたホオキパウェーブをクビ差退け、2分10秒1の日本レコードで勝利し、重賞3勝目をマークするとともに、菊花賞の出走権を獲得した。 クラシック最終戦の菊花賞では、ハーツクライに次ぐ単勝2番人気に支持された。スタート直後は5 - 6番手に付けたが、3コーナーの下り坂で外から上がってきたモエレエルコンドルに被せられると、掛かって先頭に立ってしまう。その後はゆったりとレースを進め、2周目4コーナーでスパートをかけるが、いっしょに上がってきたデルタブルースに交わされ、0.3秒差の4着に敗れる。ここまで、地方所属の身で中央競馬の三冠レースを皆勤したが、クラシック制覇の夢は叶わなかった。 続くジャパンカップでは主戦騎手の五十嵐に代わり、フランスのクリストフ・ルメールを鞍上に迎えた。陣営は掛かり癖を解消するため、リングハミに代えて臨んだ。逃げるマグナーテンの直後に付け、掛かるところも見せず最後の直線に入ると、勝利したゼンノロブロイには3馬身及ばなかったが、いったん交わされたポリシーメイカーを差し返し、デルタブルースの追撃もしのいで2着に入った。 その後は長距離移動の繰り返しによる疲労などが考慮され、北海道には戻らず大井競馬場に滞在して調整された。迎えた有馬記念では五十嵐に手綱が戻るが、タップダンスシチーとゼンノロブロイが作る、緩みのないペースに付いて行けず、見せ場なくゼンノロブロイから1秒差の11着に終わり、2004年のGI制覇はならなかった。
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