福岡市内線での運用、その後とは? わかりやすく解説

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福岡市内線での運用、その後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 13:10 UTC 版)

西鉄200形電車 (軌道)」の記事における「福岡市内線での運用、その後」の解説

1959年以降再度福岡市内線運用される事となった200形は、集電装置パンタグラフへの交換中央部乗降扉の撤去および窓の増設など、他車と仕様合わせる改造実施された。また1962年以降内装更新工事を受け、照明白熱灯から蛍光灯へと改められた。更に1968年から1969年にかけてワンマン運転への対応工事全車に対して行われ前面通風孔ワイパーの、側面方向幕スピーカー車内案内装置設置など各種改造実施された。 しかし、利用客減少により福岡市内線1975年10月実施した第1次廃止から段階的に路線廃止していく事となり、200形についても第1次廃車合わせて全車廃車され形式消滅した引退後一部車両保存されそのうち204山口県光市譲渡され光市立図書館設置された。当初閲覧室として利用されいたもの老朽化により利用終了となり、以降現地静態保存され続けていたが、解体検討されるほどに老朽化進行していた。その事態を受け、残存する唯一の大牟田市内線車両である204里帰りさせるべく結成された「204の会」によって2011年引き取られ大牟田市内のうどん店敷地内移設された。以降製造当初濃淡青色への塗装復元を伴う修復実施され2012年から不定期車内公開行われたその後大牟田駅西口賑わいづくりの一環として移転される事となり、西鉄筑紫工場再整備戦後塗装への再変更を受け、2019年からは同駅西口広場保存されている。なお大牟田駅西口広場での保存開始以後上屋設置され、また車内カフェ改装されている。 また、1985年時点では201香椎花園保存されていたが、現存しない。 反対正面部(行先プレートが「旭町となっている(2019年撮影光市立図書館保存されていた頃の2042006年撮影大牟田市うどん店保存されていた頃の2042012年撮影

※この「福岡市内線での運用、その後」の解説は、「西鉄200形電車 (軌道)」の解説の一部です。
「福岡市内線での運用、その後」を含む「西鉄200形電車 (軌道)」の記事については、「西鉄200形電車 (軌道)」の概要を参照ください。

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