福岡市内線再集結まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 13:10 UTC 版)
「西鉄200形電車 (軌道)」の記事における「福岡市内線再集結まで」の解説
前述の通り、大牟田市内線の輸送力増強用として1943年から1944年にかけて13両が製造されたこれらのボギー車であったが、当時同じく西鉄が所有していた路面電車路線の福岡市内線も在籍する2軸車だけでは需要に追い付けない状態となっており、9両については福岡市内線に配置がなされ、大牟田市内線に導入された車両は4両に留まった。これらの車両には当初1桁の番号が与えられており、両線にとって初のボギー車となった。 終戦後、福岡市内線向けのボギー車である501形・551形の導入が開始された事に伴い、1948年に同線で使用されていた4両が大牟田市内線に転属し、残りの5両についても路面電車路線の福島線に初のボギー車として転属し2軸車を置き換えた。また同時期に車両番号も200番台(大牟田市内線:201 - 208、福島線:209 - 213)に改められた。そして、1952年1月をもって大牟田市内線が全線休止(事実上の廃止)となった事に伴い、同線に残っていた8両も福島線へと転属した。同線では集電装置としてポールを改造したビューゲルを搭載し、性能についても主電動機の新造品への交換、歯車比の変更により向上した。 そして、1958年11月に福島線も廃止となった事で、200形は福岡市内線の木造ボギー車(100形)置き換え用として再度福岡市内線へと転属した。
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