第1次廃車とは? わかりやすく解説

第1次廃車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 18:13 UTC 版)

京阪1900系電車」の記事における「第1次廃車」の解説

その後は主に交野宇治両線の普通用として21世紀初頭まで1両の廃車出さず長く運用続けられてきたが、車体のみならず台車制御器などの主要機器老朽化とこれに伴うメンテナンスコスト増大著しくなったため、支線区用新型車として2002年から10000系新製投入し、これと順次置き換えてゆく方針が決定された。同系列の第1次車3編成同年4月15日就役したことによって老朽化深刻な車両から淘汰開始された。しかし、予算面の制約から10000系追加新造による置き換えままならず、この時点では2編成10両が淘汰されるに留まった。以後同系列の追加新造4年後の2006年まで中断されたため、同年初頭時点も本系列は5両編成7本の合計35両が引き続き在籍していた。 2003年ダイヤ改正宇治線通常4両編成限定運用とされたため、同線から本系列による定期運用消滅した。ただし、同年8月10日宇治川花火大会開催日限り輸送力確保のために5両編成本系列が宇治線運用充当された。 9月6日ダイヤ改正では京都方の一部除き7・8編成統一されたため、5両編成本系列による昼間時間帯本線運用が一旦は廃止された。しかしながら2年半後の2006年4月16日ダイヤ改正運用見直し実施され結果、5両編成による昼間の本線区間急行・普通運用が復活し同様に5両編成を組む2600系との共通運用として再度充当されるようになり、平日夕方運転される準急ひこぼし」(天満橋私市)の一部列車にも共通運用の一環として充当されようになった。なお、K特急おりひめ」(私市淀屋橋)については本系列の列車種別表示幕にK特急特急表示用意されていなかったため、原則として定期運用設定されていなかった。 なお、2001年12月28日廃車となった車両10両)が使用していたコンプレッサーHB-1500B型が10000系再使用され(昇圧改造時に交換されたもので比較新し機器であった為)、台車の内、KS-70は一部主電動機ごと叡山電鉄譲渡され同社デオ720形高性能化活用されている。

※この「第1次廃車」の解説は、「京阪1900系電車」の解説の一部です。
「第1次廃車」を含む「京阪1900系電車」の記事については、「京阪1900系電車」の概要を参照ください。

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