第1次戦争とは? わかりやすく解説

第1次戦争(1562年 - 1563年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 05:31 UTC 版)

ユグノー戦争」の記事における「第1次戦争(1562年 - 1563年)」の解説

ヴァシーの虐殺2つ宗派間の抗争引き起こすことになったブルボン家コンデ公ルイは「悪」の大臣たちから王と摂政解放する宣言しプロテスタント教会組織化してロワール川沿いの町々を占拠し軍隊駐留させた。実際にユグノーたちはヴァシー事件以前から動員開始していたが、コンデ公ルイ虐殺勅命破られ証拠であるとし、彼の軍事行動大義名分用いた。そして、戦闘が起こると実際にこの勅命は、ギーズ家圧力によって取り消された。ユグノーイングランド女王エリザベス1世ハンプトン・コート条約を結び、援助見返りル・アーヴルディエップルーアン引き渡す約束をする。これに従いイングランド軍がル・アーヴル上陸した主な戦いルーアンドルー、そしてオルレアン起こっている。ルーアン包囲戦1562年5月 - 10月)では国王軍が町奪回したものの、ナバラアントワーヌ戦死したドルーの戦い1562年12月)ではコンデ公ルイギーズ家捕虜になったが、ブルボン家も敵の司令官アンヌ・ド・モンモランシー捕らえている。1563年2月オルレアン包囲戦において、ギーズ公フランソワユグノーのポルトロ・ド・メレに銃撃され、その傷が元で死亡したギーズ家暗殺敵対者コリニー提督差し金であると信じた暗殺によって引き起こされ暴動オルレアン陥落しなかったため、カトリーヌ和平調停行いアンボワーズ勅令が発せられた。

※この「第1次戦争(1562年 - 1563年)」の解説は、「ユグノー戦争」の解説の一部です。
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