社会的暴力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 15:09 UTC 版)
「アメリカ合衆国の歴史 (1991-現在)」の記事における「社会的暴力」の解説
1990年代初期、アメリカ合衆国の暴力犯罪率が過去最高になり、1993年頃から着実に減少を始めた。それでも薬物の問題や人口増加によってアメリカ合衆国の犯罪は増え続けている。 1992年、ロサンゼルス暴動が起こった。これはロサンゼルス市警の警官4人が黒人運転手ロドニー・キングを殴ったことについて無罪とされた後に発生した。この暴動はロサンゼルス市の主に黒人やヒスパニック系住人が多い南中部で起こった。50人以上が死亡し、2000人以上が負傷した。この虐殺の顕著な例として、レジナルド・デニーとフィデル・ロペスは凶暴な暴徒に殴られて半殺しのめにあった。3,600か所から出火し、1,000軒以上の建物が破壊され、広い範囲で略奪が起こった。全体として被害総額は10億ドルに上った。ジョージ・H・W・ブッシュ大統領はこの暴動を非難し、カリフォルニア州知事のピート・ウィルソンおよびロサンゼルス市長のトム・ブラドリーと共に秩序回復に努めた。外出禁止令が発せられ、警官や消防士に加えて4,000人の州兵が動員された。 1990年代後半から2000年代にかけて、多くの学校乱射事件が国内を震撼させた。犠牲者が多く著名な事件としては、1998年のウェストサイド中学校銃乱射事件、1999年のコロンバイン高校銃乱射事件、2005年のレッドレイク高校銃乱射事件、2006年のアーミッシュ学校銃乱射事件、2007年バージニア工科大学銃乱射事件、および2008年の北イリノイ大学銃乱射事件があった。これらの事件により銃所持に関する政治問題やメディアによる攻撃に関する議論に火を付け、メンタルヘルス、学校の安全性およびいじめ対策への関心が高まった。 首都ワシントンの都市圏はベルトウェイ狙撃者事件に襲われた。これは2002年10月の1か月にわたってワシントンD.C.地域の市民や連邦政府職員に対する狙撃が続いたものだった。10人が殺害され、3人が負傷した。容疑者ジョン・アレン・ムハンマドとリー・ボイド・マルボが2002年10月24日に拘束され、1年後に有罪宣告された。ムハンマドは死刑、マルボは終身刑を宣告された。 2009年11月、テキサス州キリーンのフッド砦銃乱射事件でアメリカ陸軍少佐ニダル・マリク・ハサンが仲間の軍人13人を射殺し、30人を負傷させた。ハサンがイスラム教徒の子孫だったためにこの事件はテロだと考えられたが、FBIはテロ組織によって行われた可能性を否定した。
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