社会問題(公害・福祉・交通戦争)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 04:12 UTC 版)
「昭和」の記事における「社会問題(公害・福祉・交通戦争)」の解説
昭和30年代には、国民皆保険体制が整備されて、高度経済成長の弊害として、4つの公害裁判となった公害病を指す『四大公害病』と言う言葉が誕生した。 昭和30年代から50年頃にかけて三重県四日市市で発生した四日市ぜんそく(別名は塩浜ぜんそく・四日市公害)・神奈川県川崎市で発生した川崎公害(主な公害病名は川崎ぜんそく)など工業地帯や都市部での大気汚染が深刻化した。熊本県水俣市で発生した水俣病(別名は熊本水俣病)・新潟県阿賀野川流域で発生した新潟水俣病(別名は第二水俣病・阿賀野川水銀中毒)などの水銀中毒が発生し、また、富山県神通川流域で発生したイタイイタイ病も問題化した。深刻な公害に対応するために公害対策基本法が成立した。鉄道中心の交通から自動車中心の社会となり日本国有鉄道はローカル線を中心に赤字経営となった。昭和30年代から昭和40年代にかけて鉄道の電化工事が行われて、蒸気機関車が全廃された。モータリゼーションにより交通事故による死者が激増して、交通戦争と 言われるようになった。こうした時代状況で野党は、日本社会党や日本共産党が社会主義革命を唱える労働者政党から都会住民を支持基盤とする革新政党に変化して、中道政治を唱える民社党や創価学会を支持基盤とする公明党は都市部で支持者を増やして、労働者の地位向上や公害対策や高齢者などの福祉政策に積極的に取り組んだ。野党は昭和40年代に主婦層や商工業者、サラリーマンなどの都市住民に支持を広げた。大企業優先の成長路線だった自由民主党も、佐藤栄作首相の強力なイニシアチブの下、1971年(昭和46年)に環境庁を新設した。
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