的屋と遊女
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 18:26 UTC 版)
遊廓は一説に因れば「結界の意味を持つ」とする民俗学や民間信仰論もあり、政治的な治安維持としての役割と管理のし易さから、地域を特定したともいわれるが、一般の「定」から外れた部分を持つ治外法権でもあった。また遊廓や遊女は古くは禊(みそぎ)や祓い(はらい)と言った神事でもあり、それは「渡り巫女」などの存在からも窺い知ることが出来る。これらを背景として、遊廓は庭場(寺社や縁起に係わる場所)と同じ意味合いを持ち、的屋が生業を営む場所であった。そして的屋の源流とされる職種も遊女との関連を持つものも多く存在している。 伊勢詣(御伊勢参り)や富士詣などは途中の旅路も過程も含めて「詣で」であり、宿場町に遊女(飯盛女)が存在し、客が遊興することは、禊や祓いであった。この宿場町の風俗習慣と的屋(まとや)の営業する的場(景品交換式遊技場)が結びついて、宿場町や温泉街に矢場(射的場)が設けられた。これが現在の射的場(スマートボールなども含め)の原形であり、昭和30年代頃まで俗に「矢場の女」といわれる遊女が射的場に存在した理由である。 傀儡女(くぐつめ) 平安時代にあった傀儡師といわれる芸能集団で、猿楽の源流の一つとされる。定住せずに流浪して、旅回りや町々で芸を披露しながら金子(きんす)を得ていたが、後に寺社の「お抱え」となる集団もあった。さらに、寺社や政治権力の間諜として諸国を巡る集団もあったとされる。いずれも操り人形と意味を重ねて傀儡と呼ぶ。意図するしないに関わらず二重三重スパイのように世渡りする者もいたと言う。男性は剣舞をし、女性は傀儡回しという唄に併せて動かす人形劇を行っていた。この傀儡を行う女を傀儡女とよび、時に客と閨をともにしたとも言われる。 蓮の葉女(はすのはめ) 江戸中期の井原西鶴の著書の中で、描かれている上方の大店に雇用されていた遊女のことで、上客や常客の接待として閨をともにした。蓮の葉女と蓮の葉商いはその語源について繋がりがあり、諸説あるが蓮の葉商いが遊女としての側面を持っていたことが示唆される。 矢取り女(やとりめ) 江戸後期に的屋(まとや)が営む矢場で雇われた女性。客の放った矢が的の一定の場所内に当たると、太鼓を打ち鳴らして「あたぁ〜りぃ〜」と声を上げる。矢を掻い潜りながら的に刺さった矢や落ちている矢を拾い集め、矢が飛び交う中を舞う様に駆け回るのが、一つの芸であった。また特別な日には最高の賞品として一定の条件を満たせば気に入った矢取り女と閨を共にする事が出来た。 転び 的屋の販売形態のひとつを表す業界用語でもあるが、辞書では「路傍(ろぼう)で営む遊女」も意味すると記述されている。双方とも茣蓙が大事な商売道具でもあり、偶然なのか洒落なのか、またはそのような実態が的屋としての「転び」にあったかは定かではないが、茣蓙の上に商品を乗せる商いの総称ともとれる。
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