的屋と博徒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 18:26 UTC 版)
的屋は神農とも呼ばれ、また的屋を稼業人、博徒を渡世人とも呼び別ける。「無宿渡世・渡世人」とは、本来は生業を持たない、流浪する博徒を指し、的屋について言われることはなかった。生業とする縄張りも、的屋では「庭場」といい、博徒では「島」と表現する。古くは江戸時代の寺社奉行の「庭場」と町奉行の「町場」と郊外や埋立地などの「野帳場」の管轄の違いから来ているともいわれ、現在も地図上でその生業とする地域分けも、江戸時代の名残が多く見られる。また上記概要にも記述があるが、個々の信仰は別として的屋は職業神として神農を祀り博徒は職業神として天照大神を祀っている。 ヤクザ、暴力団との関係については、ヤクザおよび暴力団を参照 組織として「組」を形成し互助活動を行っていた。これは的屋特有のものではなく、大工、鳶、土方(つちかた) などの建設業団体や河岸、沖仲仕、舟方(ふなかた)などの港湾労働団体や籠屋、渡し、馬方(うまかた)などの運輸荷役団体と同じである。しかし、互助活動に対しての謝礼の授受が今でいう民事介入と言う表現になりやくざと同一視される由縁である。現在の暴力団といわれる組織の中でも老舗といわれる組も、元をたどればこれらの生業を営んでいたものであった。 各地の神農会を運営していた「庭主」(世話役のこと)も、円滑な運営をなしえない状態にあるものもある。本来、行商人や旅人(たびにん)の場所の確保や世話をする世話人が、集まって組織となり、神農会と呼ばれる庭主の組合が起こったが、現在では、そのほとんどが各地の暴力団の傘下組織となり、一部には肝心な世話することを怠って何もしない「庭主」や、競合する出店を脅迫し排除したり、挨拶に来るよう呼びつけたり、行商人などから着到 名目で金品をたかるものも存在する。 現在では一部地域において県の公認を受けた協同組合として活動している組織もある。この場合においても、実際には協同組合理事長を兼任している場合が多く、協同の組合というより親分の私物の組合といった趣きが強い。極端には、理事長そのものが替え玉という場合も存在するという。 暴力団排除の機運がたかまっているものの、暴力団関係者への名義貸しを黙認(推進)している団体もある。 東京都を本拠地とする極東会は、的屋を起源とする暴力団の中で唯一の指定団体として知られている。
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