百恵友和コンビとは? わかりやすく解説

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百恵友和コンビ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/09 03:09 UTC 版)

伊豆の踊子 (1974年の映画)」の記事における「百恵友和コンビ」の解説

山口百恵最初歌唱力充分でない判断され映画出演補強策として考えられといわれる当時山口百恵ヒット曲恵まれず暗中模索状態であった山口百恵最初出演映画は、松竹映画としごろであったが、これは「脇役ながら目立つ女の子」という扱いだった。これに続く主演第一作は、ホリプロ東宝提携作品となり、 ホリプロ傘下ホリ企画制作で『野良猫ロックシリーズを手がけていた笹井英男プロデュースすることになった笹井元日活のプロデューサーで、当時ホリ企画副社長となり、大林宣彦マンダムCMなど作っていた。『伊豆の踊子』製作の前に百恵グリコCM起用され大林百恵CM作ることになった。このCMシリーズ百恵お兄ちゃん対す憧れを持つという企画上がり、その相手役として「隣の青年」というイメージ出され大林が「笑うと目がキラッと光って歯がキラッと光るような子がいい」と要望し笹井プロデューサーが「よそに預けている子がいる」と三浦友和連れてきてCM起用決めた本作伊豆の踊子』も笹井が、先に大林監督打診したが、百恵忙しすぎて撮影取れるのは3日しかないと言われ大林断った結局新人デビューなので安定した文芸路線」が採用され堀威夫ホリプロ社長笹井旧知元日活の監督西河克己依頼した西河日活ロマンポルノ移行後、テレビ界に移っていて、劇映画監督5年ぶりだった。西河は堀に呼ばれ百恵は歌は売れないが、少女雑誌表紙になったり、ファンレターがたくさん来るし人気がある。だから役者に転向させようと思う」と相談された。 百恵相手役東宝新聞広告出して、約四千人応募があり、その中から三十数人選び東京呼んで書類選考が行われた。応募者の中に現役東大生新保克芳がおり、配給東宝宣伝しやすい「東大生でいこう」と決まりかけていたが、当時オリエンタルCMハヤシもあるでョ〜」が流行っていた頃で、名古屋弁の強い新保西河反対、「芝居経験がある者にしたい」と、結局先のグリコCM映像見て西河三浦強く推し三浦起用決めた当時三浦は全然売れておらず、スケジュール真っ白で、体もデカく「一高生のイメージでない」と三浦マネージャーからも反対された。西河三浦会い、話をしているウチ三浦気に入り起用決めた。しかし東宝新人起用に「売れない役者だからダメ東大生にしろ」「訛り直してからにしろ」などと松岡功社長以下、強硬に反対したが西河押し切った公募最優秀の新保は「見知らぬ高等学校生」役でワンシーンのみ登場している。その後映画とは無関係な道を歩んでいたが2005年ホリエモン騒動の際に、ライブドア顧問弁護士としてテレビ登場した

※この「百恵友和コンビ」の解説は、「伊豆の踊子 (1974年の映画)」の解説の一部です。
「百恵友和コンビ」を含む「伊豆の踊子 (1974年の映画)」の記事については、「伊豆の踊子 (1974年の映画)」の概要を参照ください。

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