白酒とは
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考古・歴史学者として知られる樋口清之は、1959年(昭和34年)の『食生活』3月号に掲載した「食品の歴史 白酒」で白酒の起源について「いつ頃からはじまったかは、不幸にして決定する資料が見つかりません」と記している。樋口は同記事において、白酒の祖を練酒という説を採る場合には、戦国時代にあたる1468年(応仁2年)に成立した『碧山目録』にその名がみえることを挙げて、すでにこの時期から存在したものと推定した。 既に記述したとおり、白酒は蒸した糯米に焼酎もしくはみりんを混ぜて作るものである。日本酒やビールのように発酵によってアルコール分が生成されたものではなく、すでにできあがった酒を混ぜて造り上げた「混成酒」である。 江戸時代の絵入り百科事典として知られる『和漢三才図会』(1712年(正徳2年)成立)では、その製法について「按ずるに、白酒は糯の精米七升を用て強めしとなし、一斗の酒中に漬け、固くこれを封ず。春夏は三日、秋冬は五日にして口を開き、箸をもってその飯粒を解き分け、嘗めてこれを試むるに、甘味を生ずるをもって度とばし、醅(もろみ)を連てこれを磨(ひ)く、白色乳のごとく甘味なり」と説明している。 おおよその成分は、澱粉が8パーセントあまりと糖分が28パーセント前後が固形分の主体である。白く濁った色は米の澱粉に由来するもので、甘みは多量に含まれた糖分からである。アルコール度数は5-6パーセントないし8-9パーセントで、日本酒よりは低いがビールよりは高い。 白酒で特に名高かったのは、九州・博多で造られた白酒であった。室町時代の末からその名は有名であり、既に「桃の節句と白酒」の節で述べたとおりその色合いを練絹のようだと形容されている。『和漢三才図会』より古い地誌『雍州府志』(1684年(貞享元年)成立)によると、「今処々にてこれを製す。もと筑前博多の練酒(ねりざけ)に倣いて、これをかもす。その色白きこと練のごとし。ゆえに練酒と称す」という記述があるため、博多から江戸まで製法が伝わってきたことがわかる。博多の白酒は天下一と評され、福岡藩の黒田家から徳川将軍家に毎年の献上品として選ばれていた。 江戸時代の白酒は桃の節句だけの飲み物ではなく、平時にも飲まれていたという。白酒は関東では「山川白酒」、関西では「あずま白酒」、駿河では「富士白酒」などと呼ばれていた。江戸においては、神田鎌倉河岸の豊島屋が商う白酒が広く知られていた。
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