病気と闘病生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 02:08 UTC 版)
1992年に大腸癌を患い手術入院するも良好に回復て経過もよく、仕事も続けていた。2008年ごろからろれつが回らず、2009年に、1月の検査入院で筋萎縮性側索硬化症 (ALS) と診断されて2月から闘病中であることを週刊朝日2010年1月15日号で告白した。4月以降は気管切開で呼吸器による呼吸補助を要して夜間の介護が必要となり、家族の負担が増したことから、2010年1月に夫人が介護保険以外に障害者自立支援法で定められたサービスを自宅がある新宿区役所に申請したところ、65歳以上であることを理由に却下された。 新宿区の対応は「65歳以上は、障害給付の新規は受け付けない」とする内規に基づいており、この内規は障害給付の対象を限定する目的で2009年10月から設定・運用されていたが、障害者自立支援法の趣旨に反するものだった。新宿区は内規を廃止し、担当職員の対応も不適切だったとして、当時の中山弘子区長が篠沢に謝罪した。 2011年6月から再開した講演活動では、日本文化チャンネル桜「桜塾講座-篠沢講座」 から抽出した約15分の音声から音声素片を採取し、音声合成装置自分の声ソフトウェアPOLLUXSTARを用いて再現した篠沢の音声を用いた。 2015年ごろからALSの症状が進行して意思表示は不能となったが、問いかけに瞬きや表情の変化で応じた。 2016年8月ごろからALSの影響による肺炎で入退院を繰り返し、2017年6月に4度目の入院となり、一時は回復の兆候がみられたが10月に入り容態が急変して腎機能にも障害が現れた。 2017年10月26日午前1時49分に、東京都文京区の東京大学医学部附属病院で他界した。享年84歳であった。かつて「クイズダービー」で、篠沢の隣席に座っていた6代目2枠レギュラー解答者の宮崎美子と7代目2枠レギュラーの斉藤慶子が追悼のコメントを表し、3代目4枠レギュラーの竹下景子、5代目2枠レギュラーの長山藍子、京都大学の山中伸弥巨樹らは、それぞれ篠沢の葬儀に参列して弔辞を読んだ。
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