町年寄役の樽屋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/13 13:12 UTC 版)
町年寄樽屋は、基本的に世襲制で藤左衛門を名乗る(13代目と16代目を除く)。ただし、9代・11代・12代目は当主が幼少であることを理由に後見役が就任しており与左衛門を名乗っている。由緒書によれば、初代町年寄は樽三四郎ではなく、その子の忠元となっている。 初代藤左衛門忠元 天正18年(1590年)8月15日就任樽三四郎康忠の子。 2代藤左衛門元次 元和元年(1615年)就任寛永11年(1634年)7月、家光が30万人の大軍を率いて上洛した際に、江戸の町年寄たちもその供をした。その際に、藤左衛門(元次)が御目見えを仰せつけられ、御紋の時服を拝領したことが記録に残っている。元和6年(1620年)に建てられた浅草蔵前の米蔵(浅草御蔵)は、元次が設計したものである。 3代藤左衛門元政 慶安3年(1650年)就任 4代藤左衛門忠朝 寛文6年(1666年)就任 5代藤左衛門元朝 宝永4年(1707年)9月就任 6代藤左衛門元堅 宝永4年12月就任 7代藤左衛門堅忠 宝永5年(1708年)7月就任 8代藤左衛門政恒(幼名・弥吉) 延享5年(1748年)2月就任 9代与左衛門 寛延3年(1750年)8月就任8代政恒の弟。田中家の養子となっていたが、10代吉五郎が家督を継いだ時に10歳だったため、後見役として呼び戻された。 10代藤左衛門忠混(幼名・吉五郎) 安永元年12月就任明和元年(1764年)に町年寄見習となり、32歳の時に町年寄に就任。 11代与左衛門文吉(幼名・林助) 安永7年(1778年)8月就任9代与左衛門の子。13代吉五郎の後見役として23歳で11代目与左衛門となる。 12代与左衛門 天明5年12月(1785年)就任旧名・岩崎善右衛門。播州の郷士岩崎家へ養子に行った樽屋武左衛門の孫。40歳の時に江戸に呼ばれ、吉五郎の後見役として12代目樽屋与左衛門に就任する。 13代吉五郎忠義 文化11年12月(1815年)就任安永7年に家督を継いだ時には4歳だったため、後見役が11代・12代目の役職に就いた。 14代藤左衛門忠温(幼名・藤五郎) 天保4年(1833年)4月就任退役の時、業務多忙を理由に銀二枚が下賜された。 15代藤左衛門忠晴(幼名・三蔵) 万延元年12月就任 16代俊之助忠道 文久2年(1862年)10月就任
※この「町年寄役の樽屋」の解説は、「樽屋」の解説の一部です。
「町年寄役の樽屋」を含む「樽屋」の記事については、「樽屋」の概要を参照ください。
- 町年寄役の樽屋のページへのリンク