甲野乙子事件とは? わかりやすく解説

甲野乙子事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 19:55 UTC 版)

矢野事件」の記事における「甲野乙子事件」の解説

1982年昭和57年1月末、大学3年であった甲野乙子仮名)は、甲野の通う大学非常勤講師であった矢野暢特別講義出席した。その講義終了後甲野大学内の学生食堂矢野と話す機会得て東南アジア研究の話を中心に会話弾み自分将来研究者なりたい旨を伝え甲野矢野自分住所電話番号教えて再開約束した三度目面会の際、大阪市内ホテル地下街夕食などを共にした後、矢野は「今日疲れているから部屋で話の続きがしたい。」と切り出し自分チェックインしている同ホテル部屋まで来るように申し向け、甲野はそれに応じて部屋入った部屋入ってからも東南アジアの話が続いたが、突然、矢野椅子から立ち上がり甲野の手握ったので、甲野矢野の手振り払った。すると、矢野は「何で振り放った。」と怒鳴り甲野が「男の人からいきなり手握られたら振りほどいて当然である。」と答えると、甲野平手数回殴り罵倒し始めた甲野泣きながら反論したが、矢野罵倒殴打繰り返され反論止め、手を握られるままとなった矢野甲野の手握りながら説得し始め甲野の肩を抱こうとし、甲野がそれを拒もうとすると再び罵倒殴打繰り返したまた、矢野甲野ベッドに座らせ、自ら着衣脱ぎ、「君も裸にならない対等ではない。」と着衣を脱ぐように求め甲野が裸になると矢野性交渉及んだ矢野は「性行為対等な人間同士やることであり、君と僕性的関係持ったことは東南アジア研究目指す同士同志連帯の証である。」などと言い研究者になるために日常生活到るまで指導することの同意求めた甲野黙り込んでいたが、矢野詰問してきたために同意をした。翌日次に会う約束の日時を決めて別れた。 この日以降甲野は、矢野殴られた跡の治療にも行かず矢野と会う約束以外では人目避けて寮の自室籠りがちになり、大学授業出ないことも多くなった。また、矢野性的関係持ったことには誰にも口外しなかった。 甲野は、矢野勧め従い4月からアルバイトとして、卒業後は事務補佐員として矢野研究室勤務したこの間何度辞めたい旨を申し入れたが、その度矢野激怒し、殴るなどして撤回させられた。また、矢野との性的関係継続させられ甲野婚姻した後も続いた1988年昭和63年)、甲野は他のアルバイト矢野から性的関係求められていたことや、第一秘書自分と矢野との関係を認識していたことを知り自分対する対応が研究室ぐるみで行われていたと認識し、夫に対して告白するとともに研究室への出勤拒みそのまま3月末に退職扱いとなったその後甲野大学院進学したが、矢野関係者との接触避けるために東南アジア研究の道を選択しなかった。

※この「甲野乙子事件」の解説は、「矢野事件」の解説の一部です。
「甲野乙子事件」を含む「矢野事件」の記事については、「矢野事件」の概要を参照ください。

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