由来・起源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 05:37 UTC 版)
このしるしは、古代イスラエルのダビデ王に由来するとされるが、歴史的に実在した実際のダビデ王との関連を示す証拠は無い。その起源についても様々な説が唱えられている。 14世紀説 ヘブライ百科事典によると、ユダヤ人が散り散りになっていたころは国の軍隊や国防が無かったため旗を持たなかったが、1354年にカール4世によって「赤字に六芒星の描かれた旗」を掲げることが許可されたという。 17世紀説 イスラエル・シャハク(英語版)はダビデの星の起源について以下のような説明をしている。三十年戦争末期の1648年、神聖ローマ帝国の側に立ってプラハを防衛していた民兵軍がスウェーデン軍を撃退した。これを受けたハプスブルク朝のフェルディナント3世は、民兵軍の武勲を嘉して各部隊のそれぞれに旗印を下賜した。民兵の中にはユダヤ人部隊もあったが、ドイツの宮廷には、ユダヤ人の印としてどんな図柄を使えば良いか知る者がなかったどころか、宮廷ユダヤ人のオッペンハイマー家ですら何のアイディアも出せなかった。そこで、ウィーンの政府はイエズス会に何か良い知恵はないか相談したところ「ダビデ王は楯の紋所にみずからの名前の最初と最後の文字『D』を使ったに違いなく、古いヘブライ文字でDの字はギリシャ文字『Δ』に似た三角形だから、Davidのスペルの最初と最後の『D』の字二つを表す三角形を、互いに組み合わせた形にしてはどうだろうか」というアイディアを得た。こうして、ユダヤ民兵部隊に「ダビデの楯」をあしらった旗が下賜されることになった。 11世紀説 ヘブライ語聖書(旧約聖書)の最古の写本のひとつであるレニングラード写本(マソラ本文の書写記録によると作成は1008年)にも六芒星は描かれているため、この頃まで遡ると主張する説もある。 しかし、いずれの説をとるにしても、この印は欧州のユダヤ人社会に野火のように広がり、19世紀はじめにはロスチャイルド家の家紋にも取り入れられた。それまでユダヤコミュニティーにはアイデンティティーを誇示するわかりやすいシンボルが無かったため、反動としてやたらに乱用され、それ以前の古い物にも後から描き加えられたものが少なくない。
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