由来・縁起
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惣産土神である伊豆那姫命を祭る郷中の大社として、古来より一円で信仰されてきたが勧請年月日・縁起説革等は不明である。 室町時代長禄二年(1458年)5月5日に土州安芸郡和食村庄大日寺尼妙亭鰐口奉納の記録があり、創建は少なくとも室町時代以前に遡るものと考えられる。前浜地区は弥生時代の集落跡も存在するなど、さらに古い可能性も指摘されている。 往時は「脚気」封じのお伊都多様として、平癒祈願に土佐一円から来拝された。 昭和27年8月10日(第1059号)宗教法人法により神社規則承認され神社本庁に諸属し今日に至っている。 祭神の伊都姫命が三柱の姉妹神であり、ことに前浜地区の次女神と田村地区の末女神が不仲であるという伝承に因み、かつては祭の際に田村地区のみこしが前浜地区の伊都多神社境内に石を投げ込んでいくという風習があった。しかし戦後、そのような風習は野蛮であるとして廃止の申し入れが行われ、現在では行われていない。
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由来・縁起
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/10 05:46 UTC 版)
釈迦族の住まいがあり、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)はここで育った。 地名の由来については、一説には、釈迦以前にこの地にカピラ (Kapila) という黄色い髪の毛をしたリシ(仙人)が住んでいたことからそう名づけられたという。また一説には、カピラを祀っていたことに由来する、とも。 南伝仏典によると、釈迦族の祖先である甘庶王(かんしょおう、Okkāka、オッカーカ)はサーケタという地で王国を築いていた。しかし、その四男五女が王に追放されてヒマラヤの山側に至ると、カピラ仙がいるこの土地に落ち着き、ここで1つの王国を築いたという。その初代の王名はオッカーカ・ムカ (Okkāka mukha) という。北伝仏典では4王子とする。 カピラ城からヴァイシャリー(毘舎離)までは51由旬、またアノマー河(Anomā)(英語)まで30由旬、王舎城からは60由旬あったという[要出典]。 釈迦晩年に、毘瑠璃王により殲滅された。西暦5世紀の初頭、法顕がこの地を訪れた際、城址はすでに荒地になっていて、わずかに民家が数10戸があったのみと『法顕伝』に記されている。
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