生誕から小中学校時代(1935-1950)
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1935年(昭和10年)12月11日、日本統治下の台湾の台北県樹林鎮(現・新北市樹林区)に安田家7人兄弟の5番目として生まれた。当時の樹林は台北市の郊外にある田舎町であり、父は台湾で国民学校の校長を務め、自宅は学校の裏にあった。高いところに登るのが好きで、2歳の頃に学校の樋を伝って10 mほどの高さの屋根まで登り、母をひやひやさせた経験があるという。安田家はスポーツ好きの一家で、休日になると家族でさまざまなスポーツを楽しんだことから、安田少年も小学校に入学する前から自然と鉄棒や跳び箱に親しんだ。 1946年(昭和21年)、小学4年の修了をもって台湾から引き揚げ、5年生から一家の故郷・鳥取県西伯郡大篠津村(現・米子市大篠津町)へ移った。大篠津国民学校(現・米子市立大篠津小学校)では野球に興じ、ポジションは遊撃手であった。近くが海であったことからよく泳ぎに行き、逆立ちや卓球も得意で、100mと走高跳で郡大会に出場したことがあった。1948年(昭和23年)、美保中学校に進学後もスポーツ熱は衰えず、バレーボール、柔道、野球、陸上競技、体操競技など様々なスポーツに明け暮れた。特に体操競技に熱中し、中学3年で体操部に入部して兄から直接指導を受け、大車輪(ドイツ語版、英語版)や宙返りなどの技ができるようになり、体操選手になることを夢見ていた。
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